「俺のことはアキトさん、て呼んでよ」
次の日もつい来てしまったバーで、小説家の男は言った。
「ちなみに苗字は教えない。理由? 好きな子には下の名前で呼んで欲しいから」
整った顔立ちにとろりと色気のある視線をまっすぐ送ってこられて。告白めいた言葉に僕は・・。
ダメ押しとばかりにテーブルの下で繋がれた手。
「あの、離して・・」
良い加減頬が熱い。恥ずかしくてそう絞り出すと、イヤだねと言って彼は手指を絡めた。
どうしてイケメンて生き物は、こう手が早いんだろう。僕の元彼もアタックし始めはこんなだったな、なんて余計な記憶がよぎって消えた。
『Akito』
それで前の男ってどんな奴なのと、その尋問は始まった。
依然として手を離してくれる気配はない。しかも敏感な指先を軽く引っ掻かれて変な声が出そうになり、僕は諦めた。
「えっと年下でイケメンで、若い女と浮気して終わりました。以上です・・」
「情報が少なすぎるだろうがよ。写真とかないの」
じっと見つめられると困ってしまう。
空いてる手で携帯を出して、見せてみた。久しぶりに見る元彼の顔に、胸がギュッとなった。
「ふ〜〜ん、まあまあ良い男じゃん。ま、俺の方がいい男だけどね。・・でもこれは女に人気だろうな。浮気相手って相当可愛かったんじゃない?」
グサグサと胸に色んな思いが突き刺さって、僕はただ頷いた。
「まあなんか精力ありそうだもんねコイツ。ただ正直、浮気相手ひとりじゃないと思うよ。そんな可愛い女と浮気できるなら他も落とせる。 この手の男が、1人2人で我慢できる様に俺には見えない」
ー浮気相手は1人じゃ、なかった・・?
大きな言葉のハンマーに僕は叩き潰された。うまく息が吸えない。真っ暗闇が僕を支配していく。
嫌なこと言ってゴメンネと、アキトさんは僕の手をギュッと優しく握った。
「まあ俺コイツに会ったことないしさ?分かんないけどね。まあでも俺さ、小説で飯食ってるし、人を見抜く目はあるつもり。だからさ・・目覚ませよ」
諭す様な優しい瞳が、これは嘘じゃないと言っていた。
元彼本人に浮気相手もっといる?て聞いた訳じゃないけど、でも彼ならあり得ると僕ですら思う。
信じたくないけど、でもきっとこの人の言うことは正しいのだろう。直感的にそう思った。
僕の手指が冷たい。血圧が下がっていくのを感じる。
そうやって打ちのめされているところに、しかし元彼からまたぽんぽんとメッセージが来た。
『新しい男できた?』 『俺はずっと好きだから』
それは何人の女の子に同じこと言ってるんだい・・?無性に虚しかった。
同じ画面を覗き込むアキトさんは言った。
「あ、コイツ?前の男。すげ諦めないね〜。新しい男出来た?ってお前が新しい女いんだろって俺が返信してやりたいくらいだわ」
アキトさんの声が遠くに聴こえる。
なんだかな。感情がぐちゃぐちゃだ。 元彼なんかもう良いって思ってたのに、こんなにもショック受けてる。
僕はいつになったら本当に自由になれるのだろう・・。
ふいに、パッとアキトさんは僕の携帯を取り上げ電源を切って自身のポケットにしまった。
「何するんですか!」
「携帯があるからそうやって落ち込んだよ。俺が海に捨ててきてやろうか」
「そんな、困ります」
「じゃあ俺が持っててやるよ。それにな、元彼をブロック出来ないんだから、誰か他の奴と一緒にいた方がいいぜ。じゃないと君、コイツにまた会っちまいそう」
ってことで今から俺ん家で飲み直そうぜと、割と強引にそのまま僕は連行された。
訪れたのはコンクリート打ちっぱなしの近代的なデザインのマンション。
部屋に入ると、抽象的な絵が何点か飾られている以外はモノがほとんどない。掃除も行き届いていて埃もない。
生活感のまるでない家だった。
彼の少し神経質そうな雰囲気の出どころがわかった気がした。
「何飲む?」
通されたリビングには対面のキッチン。
その整理されたキッチンには、お酒のボトルやリキュールがずらり。本当にお酒が好きらしい。
とりあえずとハイボールを頼んでみた。 ちょっと待ってなとお酒を準備する姿はサマになった。
『俺のこと試してみない?』
昨日の台詞を頭をよぎる。
そう言って初めて会った日に手を繋いでくるような男の人の家に、来て良かったんだろうか・・?
間接照明に浮かぶ彼の美しい横顔にどきりとする。よくないドキドキを誤魔化すように僕は聞いた。
「・・そういえば、どんな小説書いてるんですか?」
「純文学っていう、娯楽性よりも芸術性を追求したキザ〜な文章書いてるよ。一応代表作はね・・」
そう彼がいくつか挙げた小説名は疎い僕でも知っていた。有名な賞取ったとか話題になったやつだ。
あの作家名ってAkitoだったよな。だからか。素性が不明って言われてたけど、目の前にいるこんな男性だったんだな。
アキトさんが入れてくれたお酒で乾杯とグラスを合わせた。高そうなグラス。
ふかふかな皮張りのソファに並んで座る。
「まあそんな訳でさ、前の男はもう辞めよ。とりあえず俺と付き合ってみれば良いと思うし」
とんでもないことをサラリと言ってくる。
「や、そんなとりあえずとか、無理です」
「柔軟に生きないとあっという間に君ハゲちゃうよ? それに偽装結婚から本物の愛が芽生える、みたいな小説とかあるし?俺たちも案外そうなるかもよ?」
「あれは小説だからでしょ!」
「あ、そんなツレないこと言うと君が主人公の官能小説書いちゃうよ?相手俺。
『無骨な手がその柔らかなソコを撫で・・』」
「!?ヤダヤダ辞めて下さい!!」
いきなりの朗読に顔がカアッと熱くなって慌てて相手の口を塞いだ。
「ソコってへそのことだよ?何考えてんだかやだね〜」
くすくすと彼は意地悪そうに笑った。弄ばれている、くそぉ・・
「ね?俺といると退屈しないでしょ?やっぱ俺にしときなよ」
そう言って僕の手の甲にキスをした。またひとつ心臓がどきりと跳ねた。
そうして彼との時間は過ぎていく。 彼と話すのはやっぱり楽しかった。お酒を勧められるがままに飲み、いつしか僕は酔っ払ってしまったみたいだった。
アキトさんの肩に頭を預け、なんとなしに話してしまった。
「・・僕。あまりに平凡なんです。見た目も普通、特技もない。小説とか、絶対書けないし」
「だから、元彼みたいにカッコよくて素敵な人に愛されてる自分、が必要だった訳だな」
アキトさんは僕の言葉を引き継ぐ様にいった。
そ。そのとおりです。なんでもお見通しなんですね。
骨ばった手が僕の頭を撫でた。
「俺はそのままの君が良いと思うけどねえ。君は自分を平凡だと言うけれど、良いモン持ってると思うよ?」
「・・良いモンて?」
「素直な所と、スレてない所と、あとは可愛げがある、だな」
「可愛いって何です?元彼にも言われてたんですけど」
「まあこれは説明し難いからな〜。良いじゃん顔は普通でも可愛いんだよ君はさ。俺、君がまん丸体型になっても多分好きだよ」
「・・・」
「という言葉をきっと、元彼から言われたかったのに、ソイツはくれなかったんだろう?でも俺は言うぜ。本心からな。だからさ、俺にしときなよ」
そういった彼の言葉はまっすぐ僕の心に染み込んだ。
ただおやすみなさいと言って、僕は眠りについた。
明け方に目を覚ました。僕にはふわふわの毛布が掛けられていた。隣で眠るアキトさんを起こさない様にして立ち上がる。
キッチンで水を飲みながら、結局アキトさんの家に泊まってしまったなと思った。
カーテンを少し開けてみる。 窓から見える朝焼けが眩しい。
海沿いの街を守る様に覆う赤い空はあまりに美しくて、1人の時に見たら理由もなく泣いてしまいそうだ。
ただただ朝焼けを見つめていた。 色んな想いが心の中を巡った。
男らしい手が僕を後ろからそっと抱きしめた。
低い声が耳元で囁く。
「俺の名前ね、漢字で書くと暁の都でアキトって読むんだよ。ちょうどこんな景色みたいだろ?」
包むみたいな空気で、赤みたいに情熱的で、美しくて。
「・・確かに、あなたにピッタリですね」
「俺が本当の名前教えるの、お前だけだからな」
ゾクリと心が震えた。 僕はたまらなくなって、彼の方を振り向くと自分から唇を重ねた。
もっとあなたのことを教えて。
続く
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