それから巽と別れ、やっぱりいてもたってもいられなくて僕は昌也のところへと向かった。
会社だ。大きなビルの前で昌也が来るのを待った。着いてからハッと気づいた。まじで実家のラーメン屋行く時の私服を着て来ている。
焦りすぎ、普通のスーツくらい着てくれば良かった。一応相手は社長だって言うのに……。
20分ほど待って、黒塗りの車が会社前についた。ドキッとした。昌也だ。
久しぶりにちゃんと会う気がする。背が高くて男前な昌也。
車から降りてくる時、僕を見てぎょっとした。
「寧々。あー……こんなところで何してるんだ。待ってた?冷えただろ。今日寒いからな」
「結婚するの?」
「!」
昌也のところに近づいていってヒソヒソ言った僕。昌也は気まずそうにしている。
「そういう話はここでは……」
「じゃあいつちゃんと話してくれるの?」
『じゃあ今晩は久しぶりに晩飯でも』って、それくらい言ってくれると思ってた。
「こっち来て」
昌也は僕を促してビルの下の人目のつかない場所へと連れて行った。
「ごめん、はっきり言うんだけど。
……デキちゃった子がいるんだ。エコー写真とか見せられてさ。そしたら俺の子かあ〜!ってなっちゃって……結婚するつもりとか元々なかったけど、俺の子って思ったらやっぱりかわいくてさ。
昨日ずっと考え込んでたけど、俺決めたよ。
結婚することにした。ごめんな寧々」
「……!!!」
ドクンと心臓が跳ねて視界がぐにゃりとねじ曲がった。言葉が出てこない。
「そんな……僕は?僕はもうどうでも良いの?」
「そんなこと言ってないだろ。寧々が1番、とは俺も思ってたよ。でもデキちゃったら仕方ないだろ」
僕だとデキないもんね?
「じゃあなんで……なんで浮気なんかするんだよ」
言いながら我慢できなくてぼろぼろ涙をこぼした。良い年した大人がみっともないなんてことは分かってる。百も承知だった。
でも我慢出来なかった。
「……ごめん寧々。
そろそろ時間だから……。あ、帰りは気をつけてな。それじゃ……」
それだけ言ってスッと立ち去って行った昌也。その後ろ姿を呆然と見送った。
仕立ての良いスーツに身を包んだその男を。
……終わる時はあっけないもんだな……。
ふらふら歩きながら、敗者の僕は実家のラーメン屋へと向かって歩き出した。
だって本命の恋人には振られてるし、こんなオフィス街でやることなんか、ないし……。
秋風が身に染みる。はは、振られるの、真冬じゃなくて良かったかも?寒くて凍え死んでるよねそれじゃ……。
『やだあ〜』なんて笑い合いながら若いカップル達が通り過ぎて行くのが目に入った。良いね君たち浮かれてて。平和に過ごせる秘訣って何?教えてくれない……?
やけっぱちな感傷を自嘲した。
恋人とうまく行く秘訣?そんなの簡単、浮気しない男と付き合うこと。以上、これだけ。
簡単だよ。でもその簡単なことが僕は出来なかった。
……何十回と浮気されても怒っても結局許してきたし、ついに刺された男を介抱だってしたし、僕はいつでも昌也のことだけ見てたはずなのに……。
我慢に我慢に我慢を重ねてきた結果がこれかあ……。
冷たい秋風が身に沁みた。
その日からは僕は完全にぼんくらと化した。
注文を間違えラーメンをこぼし客にひっかけマジギレされた。ごめんなさいと平謝りしつつ、心のなかは空っぽだった。別にどうでもいいし。
昌也。会社傾いてるくせに結婚とかして本当に大丈夫なのかよ。巽がヤバいってタレ込んでくるくらいだから、本当はよっぽどヤバいんじゃないのか?それでも結婚するのか、昌也……。
かつて僕を救ってくれたヒーローは、僕を必要としていないらしかった。僕は好きな人のヒーローではないのだ。要はいらない子。それが寂しくて苦しくてたまらない……。
「よ!今日もシケた顔してんなあ寧々。おばちゃん、今日は醤油ラーメンちょうだい!」
ぼんくらと化した僕を心配してか、巽は連日実家のラーメン屋に現れた。
心なしか機嫌がいい気がする巽。まあ、取り立てが順調なのかもしれない。金まわりが良いとヤクザって機嫌が良くなる生き物なんだろうか。
チラ、と厨房から巽を覗く。
……巽は顔はかっこいいんだけど服は悪趣味なところがあって、今日も黒服の下になんかすごい柄のシャツを着てどっかのお高いネックレスをつけている。あのネックレス、一個200万とか前言ってたはずだ。しかもそれを2個重ね付けしてるし。
普通の人がやったら下品になるはずなのに、巽がやるとなぜかキマる不思議さがあった。
そして彼は今日もウチのラーメンを啜っている。
まあ、べつになんでも良いんだけどさ……。
「昌也と別れてどう?」
ラーメン啜りながら上目に聞いてきた。今日も。
「だからあ。どうもこうもないよ。連絡とかないし……」
「ふ〜んなら良かった」
巽は機嫌よく麺をずばばと啜った。
はあ、と内心さらにこうべを垂れた僕……。
そうなんだ。昌也からあれから連絡は来ていない。
……でも僕はやっぱり内心諦めきれないでいた。
腐れ縁とかよく言うし。昌也はだらしない性格で、良い加減で、やっぱり結婚辞めたとか言い出しかねない感じだってあるし。
『寧々が1番だ』ってかつて言ってくれたあの言葉を僕は信じていた。縋っていた。
毎晩毎晩、祈るように携帯を見つめた。昌也から『やり直そう』って連絡が来ますようにって。
……けど結局。待っても待っても待っても、それから数ヶ月経っても昌也は僕に連絡をよこすことはなかった。
ウソでしょ?ウソだよね?と思いつつ、でも昌也の会社だの家だのに行くことだけは我慢した。それじゃ自分が惨めすぎるから。
用事があって昌也の家の近くをたまたま訪れる時、似た人の影を探した。
昌也が『寧々!会いたかった』って抱きしめてくれる空想をしては胸が張り裂けそうだった。
だけどどんなに待っても昌也はもう僕の前に現れることはなかった。
僕は本当に切って捨てられたのだと認めざるを得なかった。
ほんとうにひとりになってしまった孤独を噛み締めては、ベッドでひとりぼろぼろに泣いた。
そんなある日。巽がまた店に来た時。
「倒産だって」
ふいに巽がそんな言葉を淡々と口にした。
反射的にギクッととした。
「……え、えっ?なに?倒産て。ごめん、何の話?」
カウンターから僕を試すような視線で見上げている巽。開けたボタンから滑らかな首筋がのぞいている。
「だからあ。昌也の会社。ほらよ」
出してきたのは新聞。昌也の会社のことが書いてあった。
「え!?」
目を白黒させた僕。
「前の社長の時から本当は資金繰りにだいぶ苦労してたみたいだな。そこをあまり知らされずに会社を引き継いで、慣れない社長業に豪遊。経営が急転直下し始めたところで銀行も貸し渋り。さて、地獄のヤミ金へようこそ♪……ってならなきゃ良いけどね。
寧々、お前は良いところで泥舟から逃げれたんだ。俺は心底安心してる」
うそ、うそうそうそ。
内心狼狽しすぎた僕は、巽が僕の手を握ったことにも気付かないでいた。
心臓がバクバクしている。昌也の会社が、倒産?じゃあお金に相当困ってるんじゃないのか?昌也。僕にできること、なんかあったりするの?
昌也の少年みたいな笑顔が頭のなかで蘇っていた。
それから誰とどんな会話をしたのか覚えていない。随分ぼんやりしながら店仕舞いの片付けなんかをしていた。
ゴミ出しをしようと外に出て、どっこいしょとゴミを捨てた時。
「寧々!」
後ろから誰かに抱きしめられてものすごくびっくりした。この声と服装。
「え、た、ったつみ?」
「お前。まさか昌也の力になりたいとか思ってんじゃないだろうな」
ぎゅ、と僕を更に強く抱きしめた巽。
「え、え……?」
「そんなこと考えてるなら許さないからな」
僕が昌也を救う?
「良いか昌也はお前を振ったろ結婚したろ会社倒産だろもう良い加減他人だ。忘れろ!」
……でも僕をかつて救ってくれた人であることには変わりはなくて。僕がまだ心の奥底で好きでいることにも変わりはなくて……。
ぐらりと心が揺れるのを抑えられなかった。
「ごめん巽!」
僕は巽の腕を必死に振りほどいで走り出した。
「待てよ寧々!」
後ろの方でハスキーな声が響いた。
「昌也!」
「……お。おお!寧々……」
ぼろぼろのアパートに、昌也はいた。
羽振りが良かった頃からすると信じられない質素ないで立ちで、どこかから帰ってくるところをたまたま捕まえれたんだった。
久しぶりに行った昌也のマンションはとっくに払われていて、引越し先を管理人さんになんとか教えてもらって、駆けつけていた。
「寧々え。久しぶりだなあ。元気だったか?って俺が聞ける権利ねえけどさあ。よく分かったなあ、ここ」
「あ、ねえ。昌也。僕、聞きたいこと山ほどあるんだけど」
スッと手で遮って昌也は話し始めた。
「ごめんな寧々。
責任とってちゃんと結婚、するつもりだったんだけど。
会社が傾いてることが彼女にバレたら、騙された婚約解消よ!って言われて。子供はどうするんだって言ったら、あんなエコー写真ウソに決まってるでしょって堂々と言われてさあ。
いや〜あの子には大分金引っ張られてしまって…しかも逆に慰謝料請求までしてきて腰抜かしたよ。
参ったよなあ。女ってコエ〜のな」
言葉が出ない。
え、ウソだったの子供……?
「はは、寧々……。おれ、全部なくしちまったよ。どうしたら良いんだろう」
弱々しく昌也は笑った。
「昌也……」
「どうして?寧々は今日ここに来た?あれ俺、寧々には金借りてないよな?」
『寧々には』ってところに言いようのない不安を覚える。え、昌也他の人にはもう借りちゃってるの……?
「あ、いや。お金の取り立てなんかじゃないよ。
……倒産、したって聞いて」
「まさかそれで心配して?」
「うん……」
「寧々……。……お前だけだなあ。金のない俺のとこに戻ってくるのは」
「昌也……」
家、入ればと言われて頷く。
ぼろいアパートの扉が後ろでバタンと締まった。
続く
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