「え……」
僕の心はドキンと跳ねた。ふたりっきりになれる場所という言い方に込められたメッセージに、流石に察知するものがあったから。
「……ほ、本気ですか……?」
「そうだよ、ダメ?」
「し、詩音くんは……」
「放っておけば良い。家危ないよってLINEは送ってやったし。
それに出遅れたのはあいつだから。ね、決まり。行こ」
莉音くんはガタンと早々に僕の手を引いて立ち上がった。
え、え、と僕は終始しどろもどろの僕を連れて。
人けのない外を、さらにひと気のない方に向かって歩く。
莉音くんは僕の手をしっかり握っている。暗闇の中で彼の表情はよく見えない。
「ど、どこに行くんですか……」
そう問えば、何も言わずに莉音くんは少し遠くを指差した。ぎらついた外装の明らかなホテル感にどぎまぎして、僕は顔まで熱くなる。
「ど、どうして僕なんかと……?」
「だって君のこと好きだから」
「!」
さらって言われてびっくりした。心臓を撃ち抜かれた思いだった。
「大丈夫、ナツミちゃんも俺のこと好きになるようにしてあげるよ」
どうしてこんなに自信満々なんだろう?さすが莉音くんだ。
でもこういう自信たっぷりな人は嫌じゃない。僕は僕に自信を持てずにずっと生きて来たから。僕にないものを持っている人は眩しく見えた。
莉音くんはそれからあまり喋らなかった。
僕よりもぬっと背が高くて身体の厚みもある人に、僕自身しどろもどろになりながらこうやって連れられて歩くのは覚えがあった。
加賀美さんにもこうして連れて歩かれたことがある。加賀美さん家に初めて行って抱かれた日のこと。
あの時僕は嬉しかったんだ。職場で再三無視されてたけど、僕は自信家で有能エリートの加賀美さんに本当は心から憧れていたから。
結局振られちゃったけど。いや振ったんだっけ。分かんないや。僕らの関係が結局なんだったのか……。
訳のわからない涙が溢れそうになって飲み込んだ。加賀美さんのこと思い出すといちいち感傷的になってしまう。僕の心の一部はずっと加賀美さんを求めたままなのが自分でも可笑しい。
死んでしまえよと、自分の心の一部をちょきんと切り取れたら良いのに。
莉音くんは、そんな僕を変えてくれるかもしれない。僕は莉音くんを利用しようとしている。僕は狡い奴だ。
莉音くんは慣れた手つきで部屋を選んだ。かわいい感じの色合いの部屋を無意識に選んでいたのは、さすが可愛いもの好きと思うところだった。
「はいこれ」
「あっはい……ありがとう」
部屋につけば莉音くんは飲み物をさっと手渡してくれた。何て気が利くんだ。加賀美さんの時は『ナツミ、コーヒー沸かしてや』って逐一命令されてて……ってダメだダメだいちいち何思い出してるんだよ。
軽く頭を振った僕を見て、莉音くんはちょっと寂しそうに笑った。
「加賀美さんと泊まった時のこと思い出してるんでしょ。新しい男の前でそれは随分冷たいんじゃないかい?ナツミちゃん……」
気まずくて恥ずかしくて僕は顔を覆ってただ頷いた。
その後……。
先どうぞと促されて僕はシャワーを浴びた。この状況にいや嘘でしょ?と自分でも思う。お風呂場の鏡の中の自分は情けない顔をしていて、バッシャと水かけてやった。
真っ黒のちょっと癖のある髪質の自分は、濡れるとさらに情けない子犬みたいになる……。
シャワー上がり、携帯をいじっていた莉音くんは、バスローブ着た僕を見て『おっ良いじゃん』とひと言いった。
「ちょっと待っててね」
僕に普通にキスして去っていき、僕の心臓がバクバクして破裂しそうになる。
初めて会った時に感じた好色そうな人という印象は多分合っているのだろう。多分遊び人だったんだろうな。この手慣れた感じからして……。
ざああとシャワーの音聞こえてきて、ひっと鼓動が鳴る。
僕はベッドの端っこに丸くなって座った。頭の中ぐるぐるしたままギュッと膝の上で手を握っていた。良いんだっけ良いんだっけ良いんだっけこれで!?
目を閉じると加賀美さんの残像が浮かぶんで僕は困った。
正直気持ちはついてこないけど、これで良いはずだ……!これは新しい恋のチャンスなんだ。ドジでのろまの僕を、神が見兼ねてくれたプレゼントのはずで……。
「……覚悟は決まった?」
「!」
ぼやっとしてた。隣に座った莉音くん。濡れた髪から水滴が滴り落ちて、溢れる色気にドキッとさせられた。
「り、莉音くん……」
「ナツミ」
「!」
そのまま僕を押し倒した。
やっぱり嫌だと咄嗟に言った僕を、莉音くんは跳ね除けた。軽く頬をぶたれてハッとした。
そういえば加賀美さんはベッドで僕が嫌だと言うことはしなかった。
初めて僕に手を出した日も、『嫌なら俺を殴って逃げろ』と言っていた。僕が苦手という体位を無理強いすることもなかった。『はあ?お前この体位嫌ってどんだけ身体硬いねん。まあええわ……』呆れていたけれど。『ほなこっち向けナツミ。お互い向き合っとったらええんやろ』その声音はあったかかった。
ああ見えて実は結構優しかったんだなと僕は思い知った。
続く
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