梓が性急に僕のズボンのベルトに手を掛ける。そんな、初めてするのにこんなとこでだなんて。でも梓を拒みたくない。心臓のドキドキが込み上げる、ああ、でも。梓!
その時だった。割って入る様にちょうどチャイムが鳴った。
今朝の1限は特別な授業があったと思い出す。
僕はハッとして我に返った。
「・・行かなきゃ、どいて梓」
慌ててワイシャツの前をかき合わせる。
はあと深くため息を吐き、梓は本当に本当にしぶしぶどいた。
「・・歌のレッスンが生き甲斐だもんねひかりは・・」
そう、僕がこの学校に入学した表向きの理由。今日は音楽コースの授業があった。難関大を狙う特進コースの梓とは今日は別々。
僕はそそくさと身繕いをして階段へと走る。
「レッスン頑張ってね!授業終わったら迎えに行くから!」
屋上に佇んだままの梓が僕に向かって叫ぶのを背に、僕は階段を駆け降りた。
僕がこの学園に入学した本当の理由が『梓の側にいたかったから』だなんて梓には知られちゃいけない。
『梓に捧げる歌』
この学校には音楽コースっていうのがあって、
僕はそこにいる。99%オメガ。あと1%は僕。
容姿が良くて更に歌だのピアノだのが上手いオメガは、芸能コースに乗りやすい。僕は必死に必死の努力を重ねて入試を突破したクチ。
勉強も運動も何もかもがダメな自分だけど、歌だけはほんの少し、ちょびっとだけ得意だった。
そろりそろりと音楽室のドアを開ける。どうかバレません様にという願いは虚しく、ドアを開けてすぐに先生に声を掛けられた。同級生が一斉に振り向いた。
「星屑くん。授業には遅れないように。・・でも体調悪いのは聞いてるから、無理せずね」
雨宮 優馬先生。産休の先生の変わりにちょっと前にこの学園にやってきた先生だ。眼鏡を掛けてる儚げな美青年。
雨宮先生は大学を出たばかりのオメガなんだけど、未だヒートが来たことがないという希少種だった。
『ヒートないから授業に穴空けなくて済むんだよね』と、かつて自己紹介の時に先生は自嘲気味に言ったのをよく覚えている。
ヒートがない負い目(?)があるからなのか、この学園でイジメられがちな異端の僕に優しくしてくれる貴重な存在だった。
今だって怒りつつもさりげなくフォローしてくれて、本当優しくって好き。変な意味じゃなくだけど。
すみませんでしたと謝りつつ、僕は席につく。今日は歌の小テストがあった。
メロディラインは決まってて、それに自分で歌詞をつけて自由に歌うっていうテスト。
レッスン室に一人一人呼ばれてテストを受けるんだ。僕は課題を復習しつつ、自分の番が来るのを待った。
テストを終えた同級生が心なしシュンとしてレッスン室から出てくるのを僕は見逃さなかった。え、先生結構辛口なのかな・・。
「次、星屑くん!」
呼ばれてドキッとして、僕はレッスン室へと入った。意を決して歌った。
『あなたの運命になりたかった。あなたを誘う香りが授けられたら良かった。
願いが叶わないのなら一輪の花に生まれたかった。あなたとあなたの運命の相手が結ばれるのを祝福して1人散りたい。運命の2人に幸福を』
梓のことを想いながら僕は歌った。相当ドキドキしながら講評を待った。
「・・星屑くん、君の歌は本当に素晴らしい。聴いてる僕の胸がギュウッと締め付けられるようだよ。片恋の苦しさがひしひしと伝わってきたよ」
「ホントですか!?嬉しいです!」
前の先生は全然褒めてくれなかったから、超嬉しい!
「歌の技術は正直まだ粗いけど、心に残るものがある。・・君、恋してるんだろ。叶わない誰かに」
「えっあ、いや!?」
言い当てられてドキッとした。誤魔化そうとワタワタして先生に笑われた。
「誤魔化さなくて良いよ!青春で良いじゃん、いっそ羨ましいよ僕!」
くすくすと笑う。でも馬鹿にする感じじゃなくて、上品な笑い方だった。好きなタイプの大人だった。変な意味じゃないけど。
「え、あの・・その・・」
「あ〜、でも歌詞を考えると相手がアルファってことなのかな。まあ辛いよねえ。・・片恋の苦しさはさ、僕もよく分かるよ」
「・・・」
ヒートの来ない先生はフェロモンも出ず、番のアルファを引き寄せられない。
もし先生が運命のアルファを好きになったとしても、相手はそれに応えてくれないどころか気づいてもくれないかもしれない。
きっと辛い思いも沢山しただろう。そう思うと僕も胸が痛んだ。
でも若輩者の僕には、先生に掛けられる言葉なんてなくて・・。
「そんなしんみりしないで!はい、歌のテストおしまい!先に言うけどA評価だよ。次も頑張ってね。君には期待してるよ、星屑くん。君はキラ星になれるよ」
ニコと笑って先生はポンポンと僕の頭を撫でた。そしてレッスン室から僕を送り出した。
優しいだけじゃなくて自信までくれる先生が、ホントに大好きだった。
歌のテストで褒められてしまったおかげで良い気分で過ごし、その日の授業終わり。
何か音楽室の入口付近がザワザワしてるなと思ったら、梓が突っ立っていた。オメガの同級生にまとわりつかれている。
やば!忘れてた!!今朝のことを思い出してカアッと顔が熱くなる。
逃げようかと一瞬迷ったのが運のツキ。
「ひかりー!迎えに来たよ!」
って言われちゃってもうどうしようもなかった。
「ひかりー!!ねーってばー!!!!」
「あ、うん今行くからちょっと黙ってーー!!」
わたわたと鞄に荷物を詰めて入口へ向かおうとした。その時、背後にいた同級生の声が図らずも僕の耳に入ってきた。
「聞いた?あいつ朝、屋上で灰原に迫ってたらしいよ。自分から服脱いで」
「クズのくせに盛ってんじゃねーよ」
「ベータのくせに番になれるとでも思ってんのかな。あの灰原の」
・・そう思われちゃうんだな。そう言われちゃうんだよな。分かってますよ、僕が梓の番になれないことくらい。
虚しい気持ちが込み上げるのを僕は抑えこんだ。良いよ、これで1曲作ってやるからさ。今年の音楽コース最優秀賞とってやる。今に見てろお前ら・・!
闘志メラメラでふと振り返った教室で。
雨宮先生が教壇からじっと梓を見ていた。
そして僕の方をチラと見た。
うわ、梓が片想いの相手ってバレちゃったかな。ニコって微笑まれちゃうかな恥ずかしい・・!
って思ったんだけど、先生は僕からスッと目を逸らした。
・・あれ?
それは小さな小さな違和感だった。
雨宮先生ならニコと笑う様な場面で笑われないのが何か変な感じだった。かといってものすごく変なことをされた訳じゃないんだ。でもやっぱり違う。なんだろう、この違和感・・
一瞬考え込んでいたら、むんずと誰かに腕を掴まれた。梓だった。
「ひかり!!無視しないでくれる!?」
「あっごめん!てか教室勝手に入ってこないで!!ホラ出て出て!!」
そう言いながら僕は梓を雑に押して教室を後にした。それでも僕に何かデレデレの梓。隙あらばイチャイチャしようとしてくる梓。求められることに、僕は少し慣れ始めていたのかもしれない。
でも音楽室で感じた違和感。それはどんなに小さくても無視しちゃいけなかったんだよ命取りになるからねって、僕はこの時の自分に教えてあげたい。
続く
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