元彼と会うのを明日に控えた今日。ついあれこれ考えてしまいモンモンとするけれど、気晴らしに出かけたくても生憎の雨。
だから僕らは1日家にいることにした。
仕事部屋で籠って作業するという暁都さんに、コーヒーでも差し入れしようかと思って部屋の前まで来たのだが。
『・・らもう電・・るなっ・・だろ!』
珍しく声を荒げている声が漏れ聞こえてきた。
誰かと電話でもしてるんだろうか。
何だろう仕事で揉めてるとか?出来心で僕はドアに耳をそば立てた。
『だから・・絡は・・を通して・・っただろ。無理むり。離・・んだから俺・・るな。そんじゃ』
こんな暁都さんは初めてだった。
でもどうしたんだろう。仕事関連じゃないと思う。感じたことのない違和感に覆われていた。
『in the room』
昼。仕事部屋から出てきた暁都さんに僕は思い切って聞いてみた。
「すみません、さっき電話してる声がちょっと聞こえちゃったんですけど・・何かあったんですか?」
変な遠慮はしないってお互い決めたんだ。元彼の時みたいに、浮気してると半ば確信しつつ何も聞かないなんて、もうしない。
「ああ、あれ。聞かれちゃったかあ・・」
困ったように眉を下げ、頭を掻いた。チラリと赦しを乞う様にこちらを見ている。珍しかった。
でも暁都さんは結局折れて話し出した。
「その、ね。前付き合ってた子の話したでしょ。揉めて別れた子。今になって色々連絡してくんの。だからそう言うのもう辞めてねーって話してたんだよ」
「そうだったんですか」
つい目を見開いて驚いてしまった。暁都さんがそんなことに悩まされていたなんて知らなかった。
「そ。・・困るよな本当。あっでもやり直すつもりは一切ないからそこは安心して!
ただな、前一緒に住んでたもんでさ・・関係解消に当たって色んな手続きが・・ある訳よ、ホント、色々と・・」
珍しく物凄く歯切れが悪い。いつも立て板に水のごとくペラペラ喋るのに。
「あ、一緒に住んでたってのはこの家じゃないからね!それは昔の話でさ・・」
こんな悲しそうな顔、初めてだった。
「前はね俺、東京に住んでたんだよ。東京タワー見える部屋でさ。家賃くそ高いのに狭かったよなあ、あのマンション。誰かと住むにはなあ」
あははと乾いた笑い。それは心底悲しい思いをしないと、出ない笑いで・・。
「・・近くに花屋とケーキ屋があってさあ。よく買ってたよな俺も。あの子喜ぶかなとか思って・・」
僕はただ頷いた。
いま僕にしてくれてるみたいに、他の誰かを喜ばせようとしてた時があったんだなあと少し寂しかった。僕だけの暁都さんじゃないんだ、当たり前だけど。
彼はぽつぽつと続けた。
「・・あれは寒い冬の日のことだったなあ。いつもは仕事終わったら喫茶店でコーヒー飲んで帰るんだけど、あの日は何か気まぐれでまっすぐ帰って・・」
宙を見つめる彼の瞳が、脳裏の記憶を辿っている。僕の知らない『あの日』を思い返している暁都さんは、やがてギュッと瞳を閉じた。
「・・・。
・・・・・・。
・・ごめん、隠すつもりは、ないんだけど。でも俺もう前のことは何も思い出したくないんだ、ごめん・・でもいずれちゃんと、話すから」
暁都さんは苦しそうに顔を手で覆ってしまった。よっぽど嫌な記憶だったんだろう。その様子を見て僕は胸がギュウっとなった。
僕自身、元彼の浮気現場に遭遇した日のことを思い出していた。・・暁都さんにも、まさか同じことが?
「・・僕がそばに居ます」
その言葉は自然に出た。でもそれは単なる同情心じゃなかった。
暁都さんはそっと僕を見上げた。未だ苦悩に満ちた顔。彼をこんな風にした誰かが、許せなかった。
暁都さんを守りたいと、初めて思った。
午後になって雨は勢いを増した。
何気なく付けた天気予報では、今日1日この調子で明日になれば晴れる様だった。
部屋ではいつもの暁都さんの軽快な話し声は聞こえない。雨雲で暗い中、ニュースキャスターの声だけが聞こえていた。
ソファに座る僕の膝枕で、暁都さんは横になっていた。ぼんやりテレビを見ている。
「・・君さあ」
「はい」
「人生やり直すとしたら、いつからにする?」
「えっ・・中学くらい・・?」
「そんな前なのかよ」
ふふとゆるく笑った彼が、少し嬉しかった。
「いやその、僕モテないので・・どうにか人生をやり直して、元彼に引っかからない人生を歩みたかったな、みたいな」
チラと僕を見上げた、その随分綺麗な形の瞳。
「でも元彼とすったもんだしてくれないと、俺と出会えないじゃん」
「うっそうなんですよね・・」
彼は瞼を閉じた。眉根から鼻先に向かって美しい線を描いていた。この角度から見下ろすのは初めてだけど、美しい顔立だった。なんて、今はそれどころじゃないんだけど。
「でも辛い思いすんのはやだもんねえ・・。俺もさ、浮気されたからこそ今の君との出会いがある訳なんだけどね・・」
「・・・」
そっと暁都さんの緩くウェーブを描く前髪を梳いてみた。良いのかな、でも今は良いってことにしちゃえ。暁都さんは存外嬉しそうに身を任せてくれた。
「あ、良いねえそれ・・。君さ俺の専属美容師やってよ。毎晩シャンプーすんの。お痒いところはございませんかって」
「介護?」
「うるせえ〜君も言う様になったなあ」
ははと笑った。くしゃと笑い皺の寄った顔。笑ってくれて嬉しい。
でも、今までどんな笑顔をどんな女性に向けてきたんだろうかとふと思って、胸がつきんと痛んだ。
そんな自分がいることに気づいた。
「・・ま、つまり結局、どういうことかっちゅうとさ・・俺たちは出逢いつつ、嫌な記憶が消せる魔法の薬があったら良いよねって話。俺の分と、君のね」
「・・ある、よ?」
ええ?と驚いた彼。僕はかがんでそっとキスをした。激しい雨音だけが聞こえていた。
その日の晩。同じベッドに入って眠りに入る準備をした。腕まくらされている。
「明日さあ、話すのは俺に任せてくれないか。ベラベラ喋んのだけは得意だからさあ俺」
「それは知ってる」
そっかと彼は笑う。ふかふかの布団の下、そっと手を握ったらぎゅむと握り返された。
灯りを落として眠りに落ちる直前。
「・・俺たち、ここでちゃんと一緒に暮らさないか」
暗闇の中で声がする。僕は良いよと答えた。
君専用の部屋も準備するよと言う彼に、
一緒の部屋が良いのと言うと。奪う様にキスされた。
さあさあ、ぽたぽたと雨音が聞こえる。雨足は大分弱くなっていた。
この家で、僕は色んな暁都さんを知っていきたかった。今までの彼も、これからの彼も。
元彼との再会は、もう明日。
続く
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