狂気とは何気ない日常の中にこそ潜んでいるらしい。
それは突き飛ばし事件から数日経った、ある日の音楽コースでのことだった。
休み時間、僕はちょっと遠くの自販機に水を買いに行った。それで戻ってきて、復習がてら音楽ノートを開こうとした。その時。
指先に鋭い痛みが走る。
「・・いッ!!」
手をおさえた。血が滴った。
慎重慎重に、ノートを開く。
ノートの中にはカッターの刃。
ぐちゃぐちゃに切り裂かれた僕の写真。
添えられたメモには【灰原梓と番を解消しろ。次はお前だ】の文字。
『番、解消』
その日は音楽の授業なんか全く頭に入って来ず、僕は正直ただひたすらに震えていた。だってそうだろ。
僕を一度は階段から本当に突き落とすような犯人が、あんな写真を添えて次はお前って・・!
怪しい奴が多すぎて、犯人の目処すらつかない。ベータとして厭われる自分の身を呪った。
「それじゃ今日はここまで」
雨宮先生がそういうなり、僕はすぐに立ち上がった。いつまでもこんなところにいたくなかった。
教室前の壁に背をつけ、僕はうずくまった。
梓が来てくれるのをただただ待った。
「・・し、くずくん」
「!」
雨宮先生かと思って顔を上げた。同級生だった。
目深に切りそろえた重めの前髪。鼻筋はシュッとしてるけど、ちょっと陰がある人だ。
名前なんだっけ、えっと・・
「・・何?」
「・・指先、怪我してるんだろ。さっき・・見ちゃって・・」
「あ、うん・・」
「これ使って」
「あ、ありがとう・・?」
差し出された絆創膏。よく分からず受け取った。
「・・・」
何とも言えない無言の時間が流れる。え、何。どうしたら良いの・・
その時。
「ひかり」
梓だった。同級生くんはパッと立ち去った。
たしか高崎くんだと思い出したのは、彼の後ろ姿を見た時だった。背が高いから、高崎って入学当初に覚えようとした気がする。
「今度はこんな怪文書か・・」
寮の相部屋で。梓は僕が今日受け取った手紙を読むなりため息を吐いた。
今回はちゃんと梓に報告していた。
「次はお前だってヤバすぎるよね・・」
ははと乾いた笑いで返す。
「番を解消しないとこの写真と同じ目に遭わすぞってことだよなあ・・」
う〜〜ん・・と梓は頭を抱えて唸った。
「・・ひかりがほんのちょっと席を外したらこれが入ってたんだろ?じゃあ犯人は音楽コースの誰かだ。一人一人締め上げれば誰か白状する、か・・?」
宙を見て考え込んでいる。
梓が同級生達を羽交い締めにして『吐け!!』ってやってる様子が自然にイメージできてしまって怖かった。
「・・いやダメだ。明確な証拠がないのに白状なんか絶対にしない。俺が犯人なら絶対に吐かない」
頭をぐしゃぐしゃと掻いた。そして辛そうに僕を見た。
「ひかり、本当にすまない・・。こんなことになるなんて。気軽にひかりと番だなんて、言うべきじゃなかった」
「いや、いいよ全然。気にしないで」
僕だって本当は嬉しかったんだ、梓と仮でも番になれたから。
でも・・
「・・ホントに番解消するのどう?そうすればやっかまれることも、ないし」
じんわり涙が浮かびそうになるのを、必死に耐えた。がんばれ僕、何でもない風に言えよ!
そんな僕を、梓はがばと強く抱きしめた。
「そんな寂しいこと言うなよひかり!」
「梓・・」
梓の背に手を回した。触れた指先がズキリと傷んだ。ああ、こんなこといつまで・・。
僕が梓にぴったりの美麗なオメガで、あいつなら仕方ないねって言われる存在だったらな。
「・・あ」
オメガでふと思い出した。同級生の高崎くん。
「梓。ちょっと一緒に来て欲しいんだけど」
絆創膏を何故か突然くれた同級生。彼に聞けば何か分かるかもしれない。
夕方の食堂。1人夕飯をもくもくと食べていた高崎くんを発見した。
「・・高崎くん!」
「!」
「ごめん、今日はありがとう・・あのさ、ちょっと話したいことあるんだけど、良い?」
彼は僕と梓を見上げる。怜悧な瞳だった。
「後で行くから・・あっちの非常階段のとこで待ってて。・・バレると色々まずい」
頷いた。もしかして味方してくれるかもしれない同級生に、梓以外で初めて出会った。
誰もいない非常階段で。高崎くんと梓と僕。
「あ、灰原くんだよね・・?僕、高崎透って言います。音楽コースではピアノ伴奏を」
よろしくと挨拶した。それでと本題を切り出す。
「今日変な手紙もらってさあ・・あれ入れたの、誰か分かる?」
「・・いや、申し訳ないんだけど分からないんだ。僕もピアノのことで聞きたいことあって先生のところに行ってたから。
・・そういえば指、大丈夫だったかい。お大事にね」
すまなそうに高崎くんは言う。その声音に、根は良い奴なんだろうなあと感じるものがあった。
「うん大したことないからさ。ありがと」
ニコと笑い合うっていると、梓が割り込んだ。
「ひかりがな、最近おかしな奴に絡まれてるんだよ。この間は階段から落とされたし。何か知ってるか」
「ああ、噂で聞いたけどね・・星屑くんは今、正直あり得ないレベルで同級生達にやっかまれてる。よく生きてるなってくらい。
・・皆灰原くんの番になりたいんだ。それをやすやすとベータの星屑くんがやってのけたから、皆気に入らない」
「・・高崎くんは違うの?
僕は気になって聞いてしまった。
「別に。それに僕は、番がいたから」
「いたって?」
「去年、事故で死んじゃったんだ」
「・・そっか・・」
うっかりと人の地雷を踏んでしまった。ああ、僕のバカバカ・・。
「まあ気にしないでよ。今はピアノが番ってやつだからさ。
ま、とにかくさ。皆いくら何でも星屑くんにやり過ぎ、言い過ぎだ。僕はあまり他人に興味はないけれど、さすがに最近のは目に余るなあと思っててさ。
・・でも今回の詳しい犯人は分からない、お役に立てず申し訳ない」
彼はぺこりと頭を下げた。
「いや、良いんだ!色々ありがとね高崎くん。・・でもこれからどうしようか、梓」
「誰なのかが分からないと何ともなあ・・」
2人で悩んでいると。
チラと高崎くんが僕、それから梓を見て言った。
「・・じゃあさ、こういうのはどう?
灰原くんとは表向き、番を解消したことにするんだ。ただ口で言うだけじゃ、どうせ嘘だろうと思われる。
だからその上で、雨宮先生と付き合って見せる」
「そんなのダメに決まってるだろ!!」
「いや、無理!」
僕と梓、同時だった。いやこの話題はちょっと前に揉めたばかりで、辞めてくれ!!
イヤイヤと高崎くんは首を振った。
「あごめん、今の言い方だと誤解を産むね。
雨宮先生と付き合ってみせるのは、灰原くん。君の方だ」
続く
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