だけどニヤとそいつは笑った。ゾクッ!と心臓を冷たい手で直接握られる様な悪寒が走った。
『随分勇ましいですねええ!』
俺が握ったメスがクソ医者の胸元に突き刺さる直前、そいつはすんでのところでメスの刃先を直接握って止めやがった。人間ではあり得ない、信じられない力だった。渾身の力で取り返そうとしてもビクともしない!
「呪いの金縛りを跳ね除けるるなんて随分ななな精神力と体力ですねええ。それに良い腕力だだ、ますます息子のドナーに欲しくなったたたた」
「……い……ッ!」
あり得ない力で手首を捻りあげられる。ミシミシと骨が鳴る。
『この手ももらえば、息子ももっと丈夫な子になれますねぇえ。ななんせ病弱なんででねええ』
「うるっせぇよ!知るか!」
クラクラする。白々しい手術台のランプはやけに眩しく感じて不安を煽られる。
『もらったあっははは』
「いやだ、離せ、離せ、はなせ……!」
痛みと不安で頭がおかしくなりそうだ。
こいつ本気でちぎり取る気だ。自慢の拳だったが、ちぎられたら俺はきっと由真をもう守れない。そんな未来がもう目前に迫っていた。
だから俺は、後ろのベッドで眠っているはずの由真に向かって、せめて大声を張り上げた!
「由真あああああ!!!!!お前だけでも逃げろオ!!!」
その時だった。
突然割れんばかりの音で火災報知器の音が突然院内に鳴り響いた!
『ウグァアアアアアアア!!あつううういいいのは嫌だああ!!!』
目の前の男は途端に頭を抑え、地面に伏せって苦しみ出した!
一体何が何だか分からない、だけどそんな俺の手を後ろから握る者がいた。
「瓦落くん、こっち!」
俺は由真に手を引かれてその場から走って立ち去った。
それからどれくらい走ったか分からない。永遠に続くかの様な廊下を走り抜け、訳もわからず階段を駆け下り、さらに走って俺たちはようやく止まった。
「ハアッハア……ッ瓦落くん、無事?また会えて本当良かった!」
「由真、俺もだよ」
汗だくだったけど、俺は由真を強く抱きしめた。
「瓦落くんが僕を大きな声で呼んでくれたから目覚められたんだ、ありがとう」
「そっか。怪我、大丈夫か」
「うん何とか」
血が随分流れた跡がある。由真は怪奇がらみの怪我ばかりだ。
そっと身体を離す。
由真は離れていた間に何があったのか話し出した。
「……ということがあったんだよ」
「げえっその半分人魚の眠魚ってやつ、マジのオカルトじゃねえか」
話を聞きながら俺は正直、寒気と震えが止まらなかった。俺はひとりでこんな暗い病院内でそんな存在に直面したら、正気を保てる自信なんてない。
由真、お前は何でそんなに堂々としてられるんだ。すげえよ。
「……あー、で結局、あの怪奇の医師の男は、元々は火災が原因ですでに死んでいたんだな。だから火災報知器の音にあんなに震え上がったって訳か」
「そう、僕ね、お札とか霊力のある小刀とか入ったバッグは、眠魚くんの部屋に落としてきちゃってて。
なんとかあの場で出来ることって周り見渡した時、たまたま火災報知器が目に入ったんだ。ダメ元で押して良かった」
「なるほどな。由真の情報収集に感謝だな……」
あのまま手を引きちぎられていたら?身体をバラバラにされて、俺自身が怪奇と成り果ててこの暗い病院内を永遠に彷徨ったら?誰にも助けてもらえず。
幽霊みたいなバケモンみたいな自分を想像して、俺は心底怖かった。
「由真、いつもありがとうよ……」
「ううん、良いの。それよりさ、瓦落くん何か力の覚醒があったみたいだね?あのとき一時的にだけど霊感が強く解放された形跡があるよ。僕がそう感じるだけだけど」
「げえっ何だそりゃ。霊感ってあの霊感?霊が見えるやつ?」
「そう。まあ瓦落くんは元々霊感の素質はあったみたいだけどね。僕と一緒に行動してるから目覚めたとこはあるかも……」
「げえっ霊感はいらねえよ。辞めてくれウウ……」
「ハハ、まあもう色々既に見ちゃってるじゃない?」
「ウウウウ」
「まあまあ。でもこの感じなら、瓦落くん霊力的には結構強くなれるかも」
でも由真を護れるなら悪くないのかもしれない。
「課題は力の発現のコントロールなんだよねって……シッ……」
その時どこかから遠く、カンカンカンカン、と誰かが革靴で歩く足音が聞こえた。
ゾクッと心臓が鳴る。
(僕らを探しているのかも……)そう由真が目配せをした。俺は頷いた。
こんなところで悠長に雑談はしていられない。探索を続けなくては。
俺たちはそっとその場をあとにした。
歩きながら小声で話し合う。
火災報知器をとりあえず鳴らしとけば時間稼ぎ出来るのでは、とアイディアは出て近くにあった火災報知器のボタンを押してみるものの、反応はなかった。
どうやら一回きりのチャンスだったらしい。
ワンチャン、このままこの病院から脱出しようという話にもなったのだが……
「な、何これ!?」
来た道が封鎖されていたのだ。コンクリートで埋め立てられたかの様に、さっきは確実にそこにあったはずの螺旋階段はなくなっていた。
その時、ウオオオオオ!!!と遠くから何かの雄叫びの様なものが聞こえた。
くぐもったような音声が幾重にも重なるようなこの独特の響き……あの怪奇の医師が俺たちを探し、見つからないことに腹を立てているのかもしれない。
「息子のために俺を逃す気はないってことか……クソ……
それにしてもあつい、喉が渇いたな……」
俺たちは走ったり逃げ隠れたりと動きっぱなし。汗だくだが水はもうなかった。
ここにずっと隠れていたとしても、いずれ物理的にも死を迎えそうだ。
由真は渋い顔をしながら言った。
「……眠魚くんのところに戻ろう。怪奇のあの男も近くにいるだろうけれど……それしか方法はないと思う。
眠魚くんから父親であるあの医師の男を説得してもらうのが一番良いと思うんだ」
◾️
※由真視点
それから僕らは、僕の記憶を頼りに迷ったり間違ったりもしながら、どうにか眠魚くんの部屋までどうにか戻ることが出来た。
ドキドキしながらドアを開ける……。
「眠魚くん……?あ、れ……いない!?」
眠魚くんがいた水槽に、彼はいなかった。赤いランプだけが煌々と無機質な室内を照らしている。
連れ去られたのだろうか?逃げたのだろうか。
その時。
『ガラクシュン ガラクシュン……』
割と近いところからあの怪奇の父親の声が聞こえてきた。僕らを正に探してる!!
僕はとりあえず、パッと自分のバッグを回収した。中を確認する。よし、お札も霊力のある小型もちゃんと入っている。
『ガラクシュン ガラクシュン』
声は一際大きくなる。ゾクゾクッと鳥肌が立った。すごい殺気と怨念だ。
どうしよう。見つかったら次は本当に僕ら2人ともバラバラにされそうだ。
どうしよう!
焦っている間にも、どんどん声は迫ってくる!
「おい由真、これ!」
!?
よくよく見てみると、床に這いずった様な濡れた跡がある。そしてそれは部屋の一角へと続いている。地下への隠し扉だ!
僕らは急いでその隠し扉を開け、中に飛び込んだ!
『ガラクシュン!!!』
隠し扉を閉めるのと、怪奇の医師が部屋に入ってきたのは同時だった。
瓦落くんとぴったり身を寄せ合い、真上の部屋で怪奇が部屋を彷徨くのを実感する。
僕はお札を握りしめ、懸命に霊力を注いだ。これはいっとき怪奇から存在を隠すためのもの。数十秒も持たないけれど、効果は抜群。
必死に祈る、頼む。たのむ、どこかへ消えてくれ……!
医師の男は隠し扉の間近まで来ている!
ドキン、ドキン、ドキン、と心臓がなる。
カチャ、と取手を掴む音がした。これまでか!もう、もう時間も持たない!
……だけど怪奇の男は、思い直したのか床下扉を開けることはなく遠ざかっていった。
そのまま荒々しく部屋を出ていき、どこかへと立ち去って行った。
「……ふう……」
そのタイミングでお札は効力が切れ、ぼろぼろに朽ち果てた。
「助かった……」
瓦落くんに頭を預ける。フワッとした髪が触れ、温かみに束の間の癒しを得る……。
でもこうしちゃいられない。
「行こう瓦落くん……」
僕らは立ち上がった。
「それにしてもこの狭い通路、一体どこに繋がってんだよ?」
暗くて狭い、天井がやけにひくくて四つん這いじゃないと進めないくらいだ。だけど濡れた後はずっと続いている。これが眠魚くんの這いずったあとなら、彼はこの先にいるはずだ。
僕らは覚悟して進み出した。
「……こんなとこ崩れてきたら生き埋めになっちゃうね」
「怖いこと言うなよ」
「……瓦落くん、ごめんね」
「何だよ突然」
「僕といると色んな事件に巻き込まれるでしょ。今回だって、僕と一緒だから霊の世界と交差してしまったんだ。今までだったら通っても何もなかったって言ってたのにね。ごめんね……」
「……どうせ1人で生きてたって腐ってただけだし。刺激的でまあまあ楽しい……かも。まあ、本当に嫌だったらとっくにお前から離れてる。……俺が居たくて近くにいる。気にするな」
「……そっか……」
瓦落くんは僕にとってはやっぱり素敵な人だ。腐ってたとか言うけど、別に性根は何も腐っていない。むしろ誰よりも真っ直ぐだ。
このままずっと一緒にいられたら……。
僕が内心そんなことを考えていた時、不意に視界がひらけた。
「な、何これ……川?」
下は小さな滝の様になっている。下水とは思いたくない。他に道はなさそうで……。
僕らは手を握りあって、滝の中へと飛び込んだ。
「ゲッホゲホ……由真、無事か!」
「うん!」
水でびしょ濡れになりながら、僕らはお互いの無事を確かめ合う。岸があったので上がった。
「それにしても何ここ、鍾乳洞みたいな……洞窟……?」
そこは水が張られたプールみたいな場所だったのだ。
「……もしかして由真くん……?よくここがわかったね?」
!!!!!
振り返ると、眠魚くんが水中から上半身を覗かせている。
「由真くん、さっき突然いなくなっちゃったから心配してたんだよ。
それでひとりでなんか不安だったからここに来たんだ。ここは僕のプールなんだよ。父さんが作ってくれたの。不安な時はよくここにきて、ひとりで泳いでるんだ。僕、こうなる前はまあまあ泳ぐの得意だったんだ」
水の中を泳いで見せてくれた眠魚くん。
下半身のヒレを動かすたびに、ヒレの手術跡からは血が滲んで水に溶けた。おぞましくて気の毒で目が離せなかった。
ザプン、と水中から再度浮かんだ眠魚くん。
「ねえ、そっちの彼は由真くんのお友達?」
「!そうだよ。瓦落くんて言うんだ。友達っていうか、その、僕の大事な友達!」
「そうなんだ……ガラクくんて、もしかして父さんが言ってたドナーの人のことだよね?
でもガラクくんて生きてるよね?心臓の音が力強く聞こえるもの」
!!!
「そ、そう!それでね、眠魚くん、そのことで実は相談があるんだ」
僕は話し出した。
僕はそもそも普段死霊払い師であること。
霊力のある小刀を使えば霊や怪奇を切り裂くことができること。
実は眠魚くんのお父さんは既に死んでしまっていて、眠魚くんへの歪んだ愛から暴走してしまい、生きている人間から臓器や骨を取り上げて、眠魚くんに移植してきたこと。
次に狙われているのが瓦落くんであること。
僕はそれを止めたいこと。
話しながら胸が苦しかった。
「ショック……だよね、ごめん、君にこんな話をして……」
「……ううん、良いんだ。教えてくれてありがとう」
「だけど君もお父さん何かしらの方法で救いたいと思っているんだ、ほんとだよ!
だけどその前に、瓦落くんを狙うのをまずはやめて欲しいって、眠魚くんからお父さんを説得してみて欲しいんだ。君の声なら届くんじゃないかって」
「!…………そっか……。分かった、やってみる。
あ、ねえねえ、さっき言ってた霊力のある?小刀ってどんなものなの?聞いたことないから気になるなぁって」
取り出そうとした僕を瓦落くんは無言で止めた。『刺されるぞ』そう瞳が言っている。だけど僕は首を振った。
大丈夫だと信じたかった。だから眠魚くんに小刀を渡した。
「ふぅん……これってメスみたいだね。こんなので本当に切り裂けるんだ……へえ……」
じゃあ返してね、そう僕が言おうとした時だった。
眠魚くんは一度大きく息を吸うと突然叫んだ。
「父さん助けてーーー!!!殺されるーーーー!!!!」
「なっ!!!?」
その時猛烈な殺意が僕らを包んだ。ゾクゾクと背筋が震える。
ズシンズシンと響く様な足音が聞こえたかと思うと、僕らが来た道とは別の道から、怪奇と化した医師の父親が現れたのだ!猛スピードでこっちに走ってくる!ここはそんなに広くはない!
『グゥオオオオオ!』
激昂している!!!!
「ど、どうして!?」
眠魚くんもグルだったのか!?
「やばい!やばい、やばい!逃げるぞ由真!」
「でもどうやって!?」
階段なんかパッと見当たらない!
あっという間に目前まで来た父親!怒りに震えている!
大柄な父親の手が、僕の喉元を潰そうとばかりに掴みかけたその時!
眠魚は水中から身を乗り出して父親の足にしがみついた。
「ねえ、父さん!あの人たちに殺されるっていうのは嘘!騙してごめんなさい!
ねえ、あの人たちから聞いたよ!ドナーって生きてる人から貰うって意味だったの!?死んだ人から臓器もらってるって言ってたくせに!
ガラクくんて、由真くんの大切なお友達なんだって!僕は、由真君から友達を取り上げたくない!!
父さん、僕、誰かを犠牲にするならこれ以上生きてたくないんだ、痛い苦しいのも、もう終わりにしたい!!!!」
眠魚くんは霊力のある小刀を振り上げた!
「だから僕と一緒に死んで欲しい、眠魚の一生のお願い!!!」
振り上げられる小刀。父親はぎょろりとした目で見おろすと眠魚くんの手首を掴んだ!
『ミォオ!!!言うこと、キク!!!全部オマエのタメ!!』
小刀を取り上げようとしている!あれをどっかにやられたら戦いようがないんだ!揉み合うふたり。だけど眠魚君が均衡をやぶった。
「父さんのこと僕、ずっと大好きだから!父さん殺したら僕もいく、ずっと一緒だよ!だからこの手、離してお願い!」
『ミオ!!!』
「また生まれ変わって親子になろう!そしたら僕は父さんの顔がやっと見れる!こんなに嬉しいことないんだ!」
『!!』
父親の手からする、するりと抵抗する力が抜けていく。息子による殺害、もとい心中を受け入れたのだ。
「父さん、大好き!ごめん!」
眠魚くんが再度大きく小刀を振り上げて父親の体に突き刺した!
『ァアアアアアアアア!!!!!』
父親のずぶりと刺されたところからは噴水みたいに勢い良く何かが吹きだした!それは腐ったみたいな赤茶色い水でひどい匂いだった。既に死した身の、よどんだ血液だったのだろう。
『眠魚、みおぉお……私の愛しい子……』
怪奇と化して生き続けた父親の本当の絶命と共に、魚鱗病院は大きく揺れ出した。天井がボロボロと崩れ出してきた!
「由真、崩れちまう!逃げるぞ!」
「でも眠魚くんが!」
「良いんだ!由真くん行って!僕は父さんのそばにいるから!向こうに上の階にでる通路があるはず!」
眠魚くんは小刀を抜いて僕の方に放り投げた。
「でも!」
「お願い!父さんのそばにいさせて!由真くん、友達だろう!?お願い行って!」
「……!」
そう言って、医師である父の胸ポケットからメスを引き抜いた。
自分の心臓に突き刺す気だと分かり、僕は目を背けた。
僕は瓦落くんに手を引かれて走り出した。
天井から落ちてくるコンクリート片を、瓦落くんが素手で弾き飛ばしながらなんとか道をあけてくれるのを頼みにしながら。
階段を駆け上がる。
後ろ髪を引かれながら。誰も助けられなかった不甲斐ない自分を呪いながら……。
「……ハアッハアッ……!」
なんとか崩落寸前に僕らは地上へと辿り着き、無事生還を果たした。
「……ねえっ、本当にこれで良かったのかなあ!?」
後悔が押し寄せる。
「僕は……ぼくは役立たずだ!」
そう叫んだ僕の両肩を、瓦落くんはしっかりと掴んだ。両の目が僕を見据える。
「お前は役立たずなんかじゃない。眠魚の希望を叶えてやった。だから眠魚は苦しみから解放されたんだろ」
「でも!!」
「お前は短い間だったけど、眠魚の最高の友達だったんだろ。眠魚も父親も救おうとしてくれた由真だったからこそ、お前のことも助けたかったんだろ」
瓦落くんがそうハッキリ言ってくれて、僕は少しだけ救われた。ぎゅうっと抱きしめてくれた瓦落くんに身を寄せた。あたたかな身体に包まれて安心感があって僕はざわざわとした心が静まっていくのをただじっと待った……。
僕はこの時、瓦落くんが好きだとはっきり知ってしまった。
瓦落くんの心臓の鼓動が聞こえる。力強くて僕を勇気づけてくれる様な。
眠魚くんの耳にもこの音が聞こえていたのだろうか。
僕が瓦落くんを失うのを恐れて、怯えていた時の心臓の声音も。
それから後日。
魚鱗病院はしっかりと工事の手が入ることとなった。
掘り起こされた地下からは、大量の魚と多くの人間の白骨化死体が一緒くたになって発掘されたと世間を驚かせた。
それと別に、随分古びた男性の白骨化死体と、死後間もないまるで人魚の様な男の子の死体が、ぴたりと寄り添う様に並んでいたことも……。
魚鱗病院跡地の近くを通り過ぎると思い出す、あの日の苦い思い出。
ふと歩みを止めてしまう僕の隣には、相変わらず瓦落くんがいる。僕の心境に寄り添うかの様に、ロングコートの陰で僕の手をそっと握ってくれる。
僕はいつしか瓦落くんの温もりに救われている。甘える様に今日もそっと握り返している。
この温もりを失いたくないと思いながら。
続く

月夜オンライン書店では、過去に掲載したシリーズの番外編やココだけの読切作品を取り扱っています。
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