キスから逃れようとしても逃してはくれなかった。僕をしっかり捕まえて、キスの合間に若葉さんは言った。
「檸檬さん、僕とお付き合いしてください」
まっすぐすぎる告白に僕はたじろぐ。
だって僕はそんなに立派な人間じゃないもの。
断らなきゃ。
「駄目?良いよって言って」
若葉さんは僕をぎゅっとかき抱いた。まっすぐだなあ。情熱的で。若い頃って僕もこうだったかなあ。忘れちゃったな。若いってすごいなあ。ひたむきで。
そっと若葉さんを押し離そうとしたけど、若葉さんはそんなことに屈しなかった。
「僕には勿体無い話だよ若葉さん」
「どうして?僕の気持ち受け入れてくれるってさっき言った。僕、あんなに嬉しかったのに」
「そう言う意味じゃなかったんだ」
「ずるい。そんなの今更だ!」
若葉さんは両手で僕の頰を包んだ。
雨がパラついていて、2人ともしっとりと濡れている。周りには誰もいない。最初からこの世界に2人しかいなかったみたいだ。
真剣にじっとも見つめられて吸い込まれてしまいそうだ。この綺麗な人に。
「若葉さん、どこにも行かないで。良い加減僕のものになってよ」
「そんな、僕はそもそもどこにも行かないよ」
「嘘だ!」
「何で」
「檸檬さんはお人よしそうに見えて実は結構気まぐれなんだ。僕の前に現れたり現れなかったりする。繊細で、少し弱いところがあって、ふとどこかに消えてしまいそうなんだ!
僕はこんなに好きなのに!」
ドキッとした。そんな風に感情あらわに好意を示されることなんて今までなかったから。
「でも、その、僕は大した人間じゃなくて……若葉さんは僕を買い被りすぎだよ」
「そんなことない。僕は檸檬さんのことずっと知ってたから分かるよ。長いことずうっと。頑張り屋さんなのも、僕にいつも優しく話しかけてくれてたことも。僕、檸檬さんがそっと話しかけてくれるときの声が大好きだったから。
僕がこんなに好きになれた人間は、檸檬さんしかいないんだ」
畳み掛けるような説得の言葉は、僕をじわじわと追い詰めた。
「お願い檸檬さん、僕の手をいま取って。何も聞かず。僕もずっといられるわけじゃないんだ。そうしてくれたら、僕は檸檬さんとずっと一緒にいられるから」
きゅっと肌の白い美しい手が僕の手を握った。一本一本の指を絡めとる様にぎゅっと。
どうしてそんなに切なそうな顔をするの?
「お願いだから、僕の気持ちに応えて欲しい」
こんなにまっすぐな気持ちに僕は心動かされてしまったから。
「……ほ、本当にこんな僕で良いのなら……僕と付き合ってください……」
◾️
2人で並んで帰る散歩道。
帰りはなんだか風が少し強くて、若葉さんは僕を急いで店へと連れて帰った。
当たり前のようにそっと肩を抱かれるのは恥ずかしい反面、愛おしくもあった。
何でもない道を歩いているだけなのに、どきどきが鳴り止まない。チラッと見上げると、若葉さんも僕の視線にすぐに気づいて見下ろした。
何を言うでもなく、傘に隠れてふたりキスをした。目を閉じてすぐそばで聞こえる雨音がこんなに美しく響いたのは、人生で初めてだった。
その日、若葉さんを初めて僕のうちに招待した。
最初こそ、ぎこちなく同じ時を過ごしていた僕らだったけれど、どちらともなく流れゆくままにベッドを共にした。言葉はあまり交わさなかった。僕らにとってはそれが自然なことだった。ぎゅっと強く絡みつく手、愛おしそうに重ねられる肌、それだけで十分だったんだ。これが最後の恋であって欲しいと僕は思った。
気づけば僕らはそうして長い時間を過ごしていた。
ベッドもシーツも良い加減ぐちゃぐちゃだったけど、まあ明日やれば良い。若葉さんに抱きしめられながらこのまま眠りそうな夜はあまりに心地良かった。
「……そういえばお店、適当に締めてきちゃったね、大丈夫だったかな?」
「ん、大丈夫だよ。あっ明日の朝一緒にお店行かない?それでコーヒーでも飲もうよ。あ、檸檬さんは紅茶だったね。とっておきのやつ出してあげるからね」
「やったあ」
僕は眠りかけだったけど、ふと見た若葉さんはじっと天井を見上げていた。
「寝ないの?」
「うん。寝たらもったいないし……色んなことあったなあって思い出してたんだ」
外は雨がパラパラと降っている。
眠る前にもう少し話をすることにした。
「例えば?」
「僕、ちゃんと話せてるかなあってずっとドキドキしてたよ。変じゃなかった?」
「全然」
「そうなんだ、僕はずっと内心ドキドキしっぱなしだったから……見破られてなくて良かった、へへ」
「あとは?」
「檸檬さん、最近来ないなあとか……誰か良い人出来ちゃったのかなとか……」
「ないない。あるわけないよ」
「だって人の心って分からないじゃない?檸檬さんだって、こうして僕の想いに応えてくれたわけだし……どこかで猛アタックされてたらどうしよう?って不安だったなあ」
「若葉さん……」
「いきなり好きですって言ったらやっぱりダメなのかな?とか。その辺のお作法は僕にはよく分からなくて参ってたよハハ……だめだね……」
ここに来るまでに色んなこと悩んだり考えこんだりしてくれてたんだなあ。
ふいに若葉さんは僕のことをぎゅうっと強く抱きしめた。
「ねえ檸檬さん。恋人になれたからね、僕はこれからもここにいられるんだ。
梅雨があけて、夏になって日差しが眩しくなっても。一緒に見たあの紫陽花が枯れてしまっても。
一緒に夏の入道雲みたりアイスコーヒー飲んだり、一緒に店の買い物に行ったりも出来る。
僕はずっとこれから檸檬さんの側にいられるんだよ。僕にはそれが嬉しくってたまらない」
◾️
若葉くんと付き合いだしてからすぐ、あの散歩道のプラタナスはそっと姿を消してしまった。
一本だけ、本当に一本だけ根本から切り取られた様になくなってしまったのだ。
「ねえねえ若葉くん、あれだけ変だよね?」
僕の問いかけに若葉くんはハッキリとは答えようとしない。
「さあ?」
「教えてよ」
粘ってみたら、諦めてちょっとだけ話し出した。
「そもそも樹の中身がもう大分弱ってたから切り倒されたとかあるんじゃない?
……あるいは、その子も生まれ変わりたいと思っていたのはあるかもしれない。自由な身体を得て大切な誰かを支えられる様になって、愛し愛されたいと願っていたとか……なんて、まあ僕も樹のお医者さんじゃないから詳しくは分からないけどね」
そういって若葉くんはふいっと背を向けた。
若葉くんの首の白いあざは消えないまま。
僕が大好きだったプラタナスの樹とおんなじ形だ。
「まあまあ。世の中ハッキリさせない方が良いこともあるんだよ。ハッキリ分かったら魔法が消えちゃうことだってあるかもよ?……こっち来てよ」
若葉くんは僕をギュッと抱きしめた。若葉くんのふわふわと柔らかい髪の毛が首元にあたってくすぐったくも心地良かった。
そして囁いた。
「これからは僕が檸檬さんの話聞いたり撫でられたりするよ。僕もこうして撫でるから」
人肌の温もりはとっても心地よくて、僕は若葉くんの正体についてはもう追求はしないでおいた。
彼の正体が何であれ、僕の宝物なことに代わりはない。ならそれだけで良かった。
新しい季節が巡っていつの間にかもう夏だ。
眩しい日差しの中、一緒にこれから喫茶店の買い物に行くのだけど。
これ良さそう買ってみようかとか、買いすぎちゃった重いねとか、僕にはそんな日常が愛おしくて仕方ない。
若葉くんは僕の隣にいれて嬉しくてたまらないというけれど、僕だって君がこれからも一緒にいてくれると思うだけで飛び上がってしまいそうだよ。
若葉くんとの買い物帰りに、振り返って見上げるプラタナスの並木道。
天高く葉を伸ばすそれらは、夏の日差しを受けながらも今日もその身を風に揺らしている。
end
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