6月。紫陽花が見頃を迎えつつあるのを横目に、街路をほてほてと歩く。雨がぱらついているので傘持参。
色とりどりの紫陽花に癒されつつも、向かっているのは例の喫茶店である。
どきどきそわそわしてしまう気持ちをギュッと心の奥底にしまった。
今日は『若葉さんとこのチラシ制作を手伝う』という超良い名目で行くだけだから……!
ほんとはね。前回行った時に明日来てね、って言われたんだけど。そういえば仕事の打ち合わせ入ってるじゃんてことを思い出して、延期してもらっていたのだ。仕事に区切りついてやっとこれたってワケ。僕のポンコツ……!
こんにちは!とどきどきしつつ現れた僕を、若葉さんは笑顔で迎え入れてくれた。
やっぱ店内に誰もいない。僕にしか見えてないのここ?それってちょっとミステリー感あるね?
「あっ!檸檬さん!また来てくれたんですね!」
ぱあっと相変わらず弾ける笑顔……眩しいっ!このイケメンくんのおかげで、このミステリアスな空間が童話感あるメルヘンチックな舞台へと変わるのである。
「来てくれると良いなって、へへ、実は席ももう用意してあったんですよ!」
お店の奥の切り株みたいなデザインの丸テーブル。『予約席』と札が置いてある。え、僕のためにわざわざ?いつ来るかも分からないのに?
「今日はとびっきり美味しい茶葉でレモンティー淹れますね!あとフォンダンショコラもあります」
『かわいい』と『神』という感情が一気に押し寄せた。
「それでですね。この若葉喫茶にもっと集客するべくして、デザイン案をちょっと考えてきたんですけど」
「若葉喫茶」
「変ですか?」
「いや嬉しいですふふ」
葉っぱモチーフの心癒されるデザイン案をいくつか提案した。若葉さんは目を細めて喜んでくれた。
「わあ〜どれもかわいい迷いますねえこれは」
「希望あったら修正とかしますけど」
「えっ良いですか?ん〜そしたらメニュー表ちょっと変えようかなあ……」
この喫茶は、本当に居心地が良い。
今日はあいにく曇り空ではあるけれど、大きめの窓ガラスからは十分に明かりが差し込む。
黄緑の元気よくかわいい色合いの観葉植物がぽんぽん置かれていてなんか嬉しい感じだし。
「今直せますよ。ちょっとやっちゃいますね」
「えっえっすごーい?」
興味深そうに僕の手元のiPadをしげしげと見つめている。そんなに珍しいかな??前にiPadのこと『機械』って言ってたしな。若いのにややローテクとか愛おしいな。
「ここ色変えれます?」
「良いですよ、えーと……」
!
なんか近いような。いや気のせいだよな。でもこんな隣に来るって……ある……?
「あ、色合い良いですねえ。センスあるう〜流石漫画家ですね」
「え、いや……」
照れるからそんなおだてないでくれ……!じっと見つめてこないでくれ。恥ずか死するよ。若い子の距離感、わからない……!
若葉さんは色々と思案した末に、ひとつのデザインに決めた様だった。
「んー僕このデザインが良いです!これにします!檸檬さんぽいふわっと柔らかい雰囲気が気に入りました!」
にこ!と若葉さんは笑った。至近距離のイケメンの笑顔すさまじい。ズキュウウンとなりながら僕は答えた。
「じゃ、じゃあこのデータ送っときますね。このまま印刷所にお願いすればそのまま使えると思いますので」
「こういうチラシ作る仕事とかはやらないんですか?」
「あ、あー、ハハ……」
蘇る辛い過去の記憶。元々広告の会社に勤めていた僕。デザインセンスねーよと散々言われて、自分のデザインしたチラシをぐちゃぐちゃにして川に投げ入れたこともあった。
「…… まあ、僕は漫画描くほうが好きなんで……デザインとかはそこまでかなって……」
漫画だけが拠り所だった日々。僕が心洗われる漫画にかつて救われた様に、誰かを救える様になりたいと思って、僕も漫画を描き始めたけれど。
「檸檬さん……?」
今だ誰かを救える様な漫画家にはなれていない。
「まあ、なんか仕事って難しいですよねーって当たり前か……」
「……僕、レモンティーおかわり淹れてきます。サービスですから、ちょっと待ってて」
何か察したらしい若葉さんはキッチンへと行った。すごいな、若くて気が利いて。それにこんな冴えない僕みたいな人間でさえ救ってくれる、こんな素敵な喫茶店を作れて。あの子と大違いだよな僕。
その後。ほっと一息、若葉さんが淹れてくれたホットのレモンティーでくつろいだ。
静かなジャズが店内を流れている。ぽつ、ぽつ……と雨音がハッキリしてきた。帰りは雨だな。
……静かな雨音に耳を澄ませる。ここの喫茶に流れるゆるくて心地良い空気感、本当に好きだな……。ダメだった過去の自分ごと、どこかそっと包まれている様な気さえする。
それは嬉しいようなすこし寂しいような、少しふしぎな気持ちだった。
「……檸檬さん、いつでもここ来て良いんですからね?」
若葉さんは優しく笑った。
僕も微笑み返した。
ここは居心地が良すぎて、居着いてしまったら離れられなくなりそうで、それが少し怖かった。
さああ……と雨足は増した。
僕は用事も済ませたところで、店を出ることにした。
さてと、お店を出て傘を開く。
歩き出そうとしたその時、傘を持つ僕の手を後ろから誰かが掴んだ。肌が真っ白なその手。若葉さんだった。
「ねえ、檸檬さん。僕思いついちゃったんですけど、このまま紫陽花見に行きません?」
それはこの前、こんな風に言われるかも、と空想したのとぴったり同じ声だった。
「え……」
「ね、良いでしょう?店は今日はもう早めに閉じますから。ほんの5分、いや3分で良いんです。それだけ待っててくれたら。ね?お願い」
僕はどきどきが鳴り止まない。
□□□
ぶあつい綿あめみたいな雲に覆われて、外は少し雨が降っている。
ぴちゃ、とスニーカーが少し水たまりを踏んだ。僕ら、このままどこに行くんだろ。向こうの公園の紫陽花かな?あっちの街路沿いにもあるけど。
行き先のわからない短い旅路に、そわそわしてしまっている。
それにしても。
「わ、若葉さんて背高いんですね」
「そうですか?」
若葉さんは僕を見下ろしてふわりと微笑んだ。僕より15センチくらい大きいんじゃないかな。中性的だから油断していたけど、こう見ると若葉さんてほんと男の子だな。
若葉さんが傘持ってくれてるので、同じ傘にふたりで入っているのだけど。それはさっき、
『傘ないんですよね。一緒に入れてくれませんか?』
って喫茶出る時に言われたからだ。
喫茶の出口の傘おき場に、何本か傘が置いてあったけど、僕は一応気づかないふりをしておいた。
「あっちの方にちっちゃい公園があって、今日みたらそこが良い感じに紫陽花綺麗に咲いてたんですよ。ってわけであっち行ってみましょうね」
僕はついていくのみだ。
それにしても若葉さんかっこいいな。真っ白な素肌に白いポロシャツに水色のジーンズ。濃い青の傘は、そんな彼の姿をすきっと際立たせている。なんていうか、妖精みたいな人だ。……僕は吸い寄せられる様に、若葉さんの首元の白いあざを見つめてしまった。つい聞いた。
「……若葉さんて、何者なんですか?」
僕がよく散歩道で心のなかで話しかけてるプラタナスじゃないですか?
「ただの喫茶店経営の男ですよ」
「それだけ?」
「ふふ、他に何があるって言うんです?」
「何か隠してません?」
じいっと見つめてしまった僕。やや圧倒されつつ僕から視線をずらさない若葉さん。熱を帯びた花火が2人の間でチリ、と散った。
数秒後。
「べつに……」
ややあって、若葉さんはほんの少しだけ視線を右に左にと揺らせた。やっぱりそうなのか……と僕は確信を強めた。
「さ、紫陽花あっちですよ。雨強くなる前に見に行きましょうね」
なんかやや強引に話を終えようとする若葉さんに、僕は伝えた。
「若葉さん。僕はちゃんと分かってますからね」
「え……」
「い、言えないこと色々あると思うけど、でも僕は若葉さんのこと全部受け止めてますから。安心して欲しいです」
「……それはどうも……」
木の葉がどこかに行ってしまう様に、妖精の様なこの人がある日どこかへと消えてしまったら嫌だったのだ。
それから言葉少なになった若葉さん。ふたりで歩くアスファルトは水でべたりと濡れている。午後の日差しが水たまりに反射してぎらと少し眩しい。
雨音を弾く傘の音。
それは心地良い静寂で、この散歩道がずっと続けば良いのにと僕は思った。
「さ、ここですよ」
「わ〜見頃ですね!」
ふたりで小さな公園についた。雨だからか誰もいない。公園をぐるりと囲む様に紫陽花は咲いていた。
6月、この仄暗い雨の季節の中で色とりどりに咲く紫陽花は、鬱々としているはずなのに瑞々しくて生命力に溢れている。
公園には赤い滑り台、黄色いパイプの鉄棒。
子供らしい色合いの遊具は、いま雨に濡れてその子供らしい色鮮やかさを一層あらわにしている。なのに僕ら以外誰もいない。大人のデートスポットに良いかもね。
「紫陽花ほんと綺麗。ね、若葉さん?」
「可愛いですもんね。お店に飾ろうかな?って折ったらダメか」
「うーん、花屋さんで買いますか?」
「いえ……良いです。僕は一緒に見たここの紫陽花が好きなので、心に留めておきます」
ロマンチックなひとだなあ。
「それにしても紫陽花のグラデーションて綺麗ですよね。見てください、ここ、同じ花でも青からピンクになってる」
すっと指先で若葉さんは紫陽花の花を撫でた。
「……ひとの気持ちもこんな風に変わって行くんでしょうかね。変えたくなくてもむしろ止められない、みたいな……」
若葉さんは僕の方に向き直った。
「少なくとも、僕の時はそうだったなあ」
すっと長身がかがむ。唐突に冷たい唇が触れた。心底びっくりした。
でも若葉さんが切なげに表情を曇らせていて、僕は何も言えなかった。
「ずっと見てましたから、あなたのこと。
好きな気持ちがちゃんとバレて伝わってて、それでも受け入れてくれるってさっき言ってもらえてすごく嬉しくて……」
いや、そんな意味じゃなかったと弁明しようとしたけど遅かった。キスは深くなって、支えきれない傘ががらん、と落ちた。
続く
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