力づくで駐車場に連れて行かれて、車の中に押し込められ、僕らは話をした。
モネは酷かった。冷たく、無機質に、怒りを隠しもせずに僕を問い詰めた。
『何の話をしていた?』
『何でひかりに会いに来た?』
『彼の番は今何をしている?』
『番との普段からの関係性は良好だった?』
矢継ぎ早に質問して、僕から情報を回収する。
僕が言い淀んだら『早くしろ』、質問から逸れたことを話そうとしたら『黙れそんなことは聞いてない。質問にだけ答えろ』とだけ言われてしまった。
僕が番を乗り換えようとしていないか、そんな芽がないか?とにかく鼻を利かせて探知しようとしている感じだった。
モネが本来持っている冷たさは殺伐とした冷気に変わり、なのにギラギラとした怒りの炎が心のなかで燃えているのが見えて、正直その時のモネは異常だと思った。
僕はそんなモネが怖かった。モネを遠くに感じた。いつものモネはそこにはいなかった。
結局、モネは過去の失恋から立ち直れてなどいなかったのだと、その時僕は理解した。
モネは最後に僕を強く抱きしめて言った。
「俺を裏切るなよ」
きっとこれはモネの過去の番に向けても言っている。過去と現実がごっちゃになり、モネは空想に囚われている。
「こんなに愛してやったろ?」
「!」
だけどそんな悲痛に満ちた声を聞けば、僕は正論を吐く気にはなれなかった。今のモネにはそんなの必要なかった。
「もちろん、僕にはモネだけだよ」
僕はぎゅっとモネをただ抱きしめた。
それから少しして、やがて海の潮が引くようにモネの感情の波は引いた。
僕から身を離して言った。
「お前の携帯は俺がしばらく預かる。今夜は20時にいつもの店に来い。……じゃあな」
「わかった」
従順に頷いた僕にほんの少しだけモネは安堵したみたいだったけど、依然として怖い顔をしたままだった。
今日の夜にはいつも通りのモネに戻ってくれるよね。そうだよね?モネ……。
それからモネは僕を車から降ろし、事務所に戻れと命じた。そしてモネ本人は車をそのまま走らせてどこかへ向かった。
ドライブかなあれは。車の運転好きだからきっと気持ちの整理でもするんだろうな。
「……はあ……」
僕は事務所に戻り、何もやる気が出ずに休憩室のソファに沈んでいた。休憩室の自販機で買った冷たいりんごジュースがカラカラに乾いていた喉に心地良かった。
「……あああ〜……」
ソファに更に沈む。
今日は色々ありすぎてついていけない。
いや、モネが本当に僕を愛してくれてきたっていうのは本当に理解してるんだよ。僕だってモネの気持ちにありがたく応えてきたさ。
ずっと仲睦まじく過ごして来たじゃん。
あんなに興奮しなくて良くない!?
……ひかりが裏切る訳ないって何で思えないんだよ。僕ってそんなに信用ない?いや、それよりもむしろ『この俺がまた裏切られる訳がない』って。
何で自分を信じられないんだよ?
それに『愛してやった』っていうあの発言もひっかかるし。
いや怒ってないよ。そうじゃなくてさ。
こう、『こんなにコストかけて尽くしてきてそれで裏切られたらバカみたい、俺を裏切るお前が許せない』という感じではなく、
『ここまで尽くしてきたのに捨てられる自分が許せない』みたいなニュアンスが含まれていた気がするんだよねあの時……。
わずかな声音による僕の勝手なイメージだけどね。でもこれでも僕、歌手の端くれだからさ。言葉尻とか、そこに加えられる言葉のニュアンスについては結構うるさい方。
それでやっぱりモネって……。
「すみません、掃除するのでそこちょっと空けて頂いても」
「あっすみません」
その時掃除のおばちゃんに声をかけられ僕はあたふたと移動した。
頭の中であれこれ考えて、せっかく纏まりかけていたことが霧散した。それは結構大事なヒントだったのに。
それから身にならないレッスンをして時間を潰した。そういえばと携帯をふと見ようと思って、そうだ取り上げられていたと思い出す。
どうしよう梓からタイミング悪くなんかややこしいメッセージ来てたら。あのモネがそんなの見ちゃったら僕、殺されるかも……。
しかしこの状況では手も足も出ない。
言われた通りの店に行くしかないのだ。
ちなみにモネが言った『いつもの店』っていうのはフレンチのお店だと分かっていた。最近ちょくちょく行ってて、金晩になるとよくモネと行っていた。
あの時わざわざ店名を言わなかったのはたまたまなのか、僕を試すためなのか。よく分からないとため息を吐く。
痛む胃を抑えつけ、待ち合わせの時間を待つのみだ……。
そして約束の時間、僕はレストランに行った。そこはシルバーグレーが基調の内装に、トパーズ色の照明がまあるく店内を照らす、ちょっと格式高い感じのところ。モネには本当によく似合っている場所だった。
案内されて行くとモネはもう来ていてドキッとした。モネは遠目に見ても迫力があって、そもそも普通のサラリーマンには全く見えない。更に気難しそうな顔でじっと夜景を見ながら座っている。
近寄り難さが半端ではない……けど頑張って近寄った。
「あ、あの。お待たせ」
「ああ……座れ」
え〜っとどうやって話せば良いんだろう……。
「結論から先に言う。お前は解雇だ」
「え……」
その瞬間、一気に血圧が急降下するのを感じた。いつまでも落ちていくフリーホールの中にいるみたいだ。あるいは遊園地のジェットコースターがてっぺんから落ちて行く時の、内臓がフワッと持ち上がる様なあの気持ち悪い感じ!
「な、何言ってんの!?」
ぎらりとモネは僕を睨みつけた。
「静かにしろ。場所をわきまえろ。あとお前は遠くに引っ越せ。家なら買ってやる。お前はそこから出るな。俺が会いに行くから」
「そんな、そんなとこ行かないよ!やめてよ!」
「黙れと言ったろ!」
モネにしては少し声を張り上げた。一瞬だけシン……とした店内は次の瞬間いつものさざめきを取り戻した。居心地の悪さが増す。ここにいたくなかった。
ああ、とにかく落ち着いて話さなきゃ。ヒソヒソと僕はモネに言った。
「ねえモネ、どうしちゃったんだよ。考え直してよ」
モネは声を落として、それはそれは静かに言った。
「良いか、俺は社長。お前は一介の従業員に過ぎないんだ。俺に歯向かうな」
「!……じゃあ、じゃあ事務所辞めたら僕はただの一般人でしょ。じゃあモネの用意した新しいお家なんて行かないもん」
ギュッと手のひらを腿の上で握った。せっかくここまで頑張って来たのに。どうしちゃったんだよモネ。悔しくて情けなくて、怒りで泣きそうだったのを我慢した。泣くもんか、こんなことで!
「1人で暮らすって言うのか」
俯いたままウンと頷いた。ブチギレてるんだろうな。片眉を上げて、いかにも気分害しましたみたいな顔してるんだろうな。
呆れたため息と共にモネは言った。
「お前な、今まで一回も社会人なんかマトモにやったことないだろ。金稼ぐってのは簡単じゃないんだよ。お前に独り立ちなんて今更難しいと思うがな」
「う……」
それは図星だった。だって、だって僕は16の時からモネに甘えて、身の丈に合わない贅沢して今まで生きてきてたから。
「……」
「俺の言う通りにしろ。分かったな。この話は終いだ」
ちょうど運ばれてきた飲み物や、立て続けに持ってこられた食べ物の数々。
輝くばかりに新鮮な魚のカルパッチョやら、分厚く切られた和牛のステーキだの。いつもだったら嬉しいけどさ。
余計なことを喋るなというモネの無言の圧に屈し、僕は黙って食べた。
こんなに味がしなくて冷え切って感じる料理初めてだった……。
モネと分かり合えるはずだって言うのは、僕の幻想だったんだろうか?初めから対等なんかじゃなかった?そりゃ、社長と僕が対等な訳あるかって言ったらそうだけどさ。
でもモネは僕に目線を合わせてくれるとずっと思ってきたから、ショックが大きかった。
僕はモネにとってぬいぐるみかなんかに過ぎなかったんだろうか……。
それから店を出て僕らは家に着いた。モネの趣味でガラスとスチール製品だらけの家。基本的に温度感のない広々とした家は、2人だから暮らせるけど、同じ様な雰囲気の家にひとりで住めと言われたらたまったもんじゃない。
何だか無性に怖くなって僕はモネの背中に抱きついた。僕より一回りも大きな身体は、僕を拒絶はしなかったけれど。
「ねえモネ……僕……ほんとに引っ越すの?歌手はもう終わりなの?」
「ああ」
「どうしても?」
「そうだと言っている」
……そっか……。
それは確かな断絶で、僕の言い分など無駄なんだと感じさせられた。
ギュッと目を閉じた。モネはこうと決めたらやるだろう。何よりも社長で権力を持っている。お金も持っている。僕の身ひとつ、どうとでも出来るんだ。
どうしようもない虚無がぽっかりと僕を包んだ。
僕の大事な進路まで勝手に決めるなんて思わなかった。今までずっと寄り添ってくれていたモネは、幻想だったんだ。
それがどうしようもなく寂しかった。
「ひかりは先にベッド入ってろ。……シャワー浴びてくるから」
そう言って僕を置いて行ったモネ。心通わないまま僕を抱いてそのまま眠る気なんだ。やだ、そんなのやだ!僕はモノじゃないんだ!
どうにも居た堪れなくなって、僕は家を飛び出した。
駅に着く頃には終点間際になっていた。来た電車にとりあえず乗った。電車の硬い布張りの椅子に身を預け、あてもない旅路へと向かった。モネと知り合った時もおんなじ様にフラフラと電車乗り継いでた時だったよね。おんなじ事してモネから離れようとしてる。成長ないね……僕……。
どこへ行くんだろう。分からない。ポケットに捩じ込んでいた財布には1万円ちょっとしかない。あとモネの名義のクレジットカード。使う気には到底なれない。
じきにお金が尽きる。野垂れ死ぬのかな。分からない……。
まあ、もう色々どうでも良かった。
だってどうせ解雇だし。歌手にはもうなれそうもないし。モネが物好きだから僕は拾い上げられただけで、モネの一言で僕の運命などどうとでも変わるんだ。
色々頑張って掴んだチャンスだったんだけどな。
なんか色々情けなくて悔しくなって、僕は寝たふりをして顔を伏せた。
結局ただのベータなんだ。人生なんてそう自力で変えられるものじゃない。
◾️
※モネ視点
熱いシャワーを頭から浴びながら、今日一日の言葉を反芻していた。自分がおかしいなんてとっくに理解していた。こんなのあり得ない。
冷静さを欠いて理不尽に相手を責め、相手の幸福を取り上げる。今日の自分は馬鹿げている。なの
に止められなかった。本当にどうかしている。
今更ひかりを手放すことは俺に出来ないし、歌手を辞めさせる気なんか元々なかった。人目あるフレンチレストランなら、落ち着いて話が出来るだろうと思ったのに口から出てきたのは全て真逆の言葉だった。
どうしてあんな話をしてしまったんだろう?後悔が込み上げる。
鏡の中の自分が、俺をじっと睨みつけた。鏡の中の男、虚勢を張ってはいるがその実、見捨てられる不安に心底怯えている……。
俺には正直、自分の過去の番・蜜樹とひかりが重なってどうしようもなかったんだ。
清泉 蜜樹。物憂げな美貌のオメガ。フルート奏者で行きすぎたロマンチスト。……俺はあんなに愛を向けたのに、蜜樹は俺がいながら別の男を選んで、懊悩の挙句に勝手に焼身自殺した。
俺が『燃音(モネ)』という本当の名前を捨てざるを得なかった理由だ。
俺たちで暮らしていた家で蜜樹は……。
「!」
封印していた過去の記憶の蓋が開きそうになり、俺は思わず風呂場の鏡に拳を突き立てた。
酷い音を立ててガラスは割れ、血の混じった湯が排水溝に流れ続けていった。
死に際の犬みたいな荒い自分の呼吸だけが聞こえる。
その呼吸音は、俺が蜜樹の自殺現場を見た時にあげていた荒い呼吸と一緒だと、俺は気づいていた。
まさかひかりと蜜樹が同じ末路を辿るところなんて俺は見たくない。
そんなことになったら俺は……俺は……。
熱い湯を浴びているはずなのに心底寒気がした。身体が冷えてどうしようもない。このままではダメだ。いますぐひかりを抱きしめないと、自分がどうにかなりそうだ。
きっとさっきのガラスが割れる音で怖がらせてしまっただろうな。
適当に身繕いをして寝室へと戻った。
「……ひかり。……ひかり?どこにいる……?」
しんとした部屋は何も返事をよこさない。
「……ひかり?」
どの部屋を覗いてもひかりはいない。
まさか……!
ふと思い立って玄関に行くと、ひかりの靴はなく鍵が開いている。
「ひかり!」
その後、上着ひっかけて眼鏡して、髪なんか濡れっぱなしのばさばさで走って辺りを探した。
ひかりの携帯を取り上げたことが災いした。このままどっか行かれたらたまったもんじゃない!
ひかりが行きそうなところを洗う。高架下。路地裏、それから薄暗いところ。あいつはジメジメと泣くところがある。野良猫が息を潜めていそうな場所だ!
「……いない、クソッ……!」
相当な距離を走って探したと思う。全身汗だくでこれ以上ないくらいの心臓の鼓動だった。
……どうする?一旦家に帰るか?もしかしてただコンビニに行ってただけなんてこともあるかもしれない。希望的観測だが……。
……だがこの辺りは川辺だ。どっかで変な気を起こして水死体にでもなられたら……。
ゾク、と鳥肌が立った。
いやしかし待て、冷静になれよ。流石にひかりだってこの状況で自殺なんかしない。あいつは案外根はタフなやつだ。
それにひかりと蜜樹とは違う人間なんだ。
「……そうだ。ひかりと蜜樹は違う……」
当たり前の事実にはっとする。なんでこんなに頭がグチャグチャなんだ。
「……頭冷やさなきゃダメだ。一旦家に帰るか……」
僅かな希望を持って家に帰ったものの、ひかりはやっぱりいなかった。
調べるとひかりの財布はない。財布だけは持って家を出てくれたならありがたい。俺のクレジットカードを捩じ込んでおいて助かった。
金さえあれば最悪どうにかなる。
その晩、玄関の鍵は開けてずっとひかりの帰宅を待った。電気を消して寝てる風を装えば、ひかりも入ってきやすいかと思ってじっと暗闇の中ベッドで待った。
しかし帰って来ない。ひかりのスマホのロック画面を時折見ても、特に怪しいメッセージは来ていない。それに俺とふたりで行った場所の写真をロック画面にしていて健気なやつだ。
ああ、ひかりが帰ってきたらちゃんと全て話そう。今日言ったことは全部嘘だと。
ひかりは今どこで何をしているんだろう?
ひかりはもしかしたら実家にでも帰っているのかもしれない。そこまで遠くはないしな。このまま親御さんのところに明日の朝一番に電話を入れるか。再会しないことには話も出来ないからな。
ギュ、と握った右手の拳がピリと痛んだ。
そういえば今更ながら拳の骨の表面のところがジクジクと痛むことに気がついた。暗闇の中で触ってみると、渇いた血の感触が広範囲にした。
夜中の3時には、もうひかりは今晩は帰ってこないだろうとほぼ確信していたが、それでも俺は眠らなかった。俺が寝たと確信して荷物を取りに来る可能性があったからだ。
薄暗闇の中で何度も俺は自分に言い聞かせた。
蜜樹とひかりは別、と……。
……蜜樹は音楽的な才能に恵まれた奴だった。難しいコンクールもどんどん勝ち抜き、若くして名声を手にしていた。若い才能を花開かせていく蜜樹が俺は自慢だった。
知り合ったのは俺が18歳で蜜樹が16歳の時。
そういえば俺がひかりと知り合ったのも、ひかりが16歳の時だ。ひかりに歌の才を見出したのもその頃。
俺は失った愛のやり直しをひかりに求めてしまっていたのだろうか?自分の傷を癒すために?いや、そんなつもりは全くない!
そんなはずは……。
……。
……蜜樹、どうして俺を置いて死んだ?あのときいっそ俺を殺してくれたら良かったのに。
結局朝になってもひかりは戻らなかった。
続く
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