※加賀美視点です。
のそ……と見知らぬ家屋に上がり込む。
真っ暗な家の中はやけに広くて、どこかから俺は見られているんじゃないかと不安になる。
床に落ちているカフェだのパン作りの雑誌だのを無遠慮に踏みしめて歩いた。
「おい……誰かいないのか……ナツミ!」
……。
ゆっくり歩きながら答えを待つ。しかし返事はない……。
この付近には絶対いるはずのナツミ。俺はどうしたらお前に会える?
背後、左右、それから再度、前。十分気をつけながら歩いて、パッと電気をつけた。
照らされた室内。
ふとテーブルに置かれたコーヒーカップが目に入る。途中まで飲まれた形跡と、まだほんのり温かい様子。ついさっきまで誰かがここにいたのは間違いないらしい。しかし一体何なんだこのやたら少女趣味の部屋は……。センスが合わなさすぎてゾワゾワする。
「ナツミ……」
あいつは双子に連れ去られたのか隠されているのか、まさか殺されたりしてないだろうな?
手放していると不安で不安で仕方なかった。
俺が嫌いなら嫌いでも良いが(いや別に良くないが!)、ナツミの身の安全だけは確保しておきたかった。
俺はそろ、そろり……と家の中を歩いていく。
ぎょろぎょろと元よりキツい目つきの眼球を動かして。
……それにしても脇腹が痛い。膝も背中も頬も痛い。鼻は折れていないが、鼻の奥に血の匂いが充満している。詩音とか言った男。あいつの力技は油断ならない。
やがて俺は玄関までたどり着いた。
「!」
扉にはチェーンがかかっている。でもナツミの靴がある!しかも……この紙袋の中身……ナツミの私物だ。まさか、泊まる気だったのか?お前に気のある男らの家に?
そう思うとゾッとした。何ほかの男の家に上がり込んでるんだよ。殺すぞ。俺を振っておいて!
カッと頭に血が登ったが、無理やり深呼吸した。
いや、キレてる場合じゃない。冷静になれ……。
ナツミはこの家の中にいるのか?いや、サンダルでも履いてすでにリビングの窓から出たかだ。いないふりをしているのか、本当にいないのか……。
不安と焦りでどうしようもない。ナツミに電話したくても俺はすでにブロックされている。
ナツミがもしかしたら、本性を剥き出しにした双子相手に震えているかもだとか、俺に助けて欲しいと願っているかもしれないだとか。虚しいが無視なんか出来ない仮説を胸に、俺は階段を駆け上がった。
「ナツミ!」
「……おい、ナツミいるか……?」
どの部屋をチェックしても少女趣味なシロモノだらけで辟易した。女でも住んでるんだろうか?
「……!」
ふと目が合った子犬のぬいぐるみ。
しょんぼりした愛嬌あるぶさいくさがナツミそっくりで、俺はついナツミと知り合った時のことを思い出していた。
……ナツミはドジでのろまで幸が薄く『コイツ絶対俺がいないと生きていけへんタイプやろ』と思わせるところがあった。
新入社員歓迎会があった4月。新入社員としてビールを部長に継いでこぼして早速怒られているナツミを見て、俺はやばいやつ来たなと思った。
でも慌ててめちゃくちゃ丁寧にいつまでも拭いてる様とか、染みになっちゃったかもすいませんごめんなさいクリーニング僕持っていきますからとへこへこして半泣きな雰囲気で上目遣いしてる様とか。
見てると何故か目が離せなかった。うじうじいじいじして、お前しっかりせえやと怒鳴りつけたくなる。でもそれは俺は嫌いじゃないやつだった。
それにあの柔からそうな頬。ねじ伏せたくなる。力強い衝動が湧き上がるのを抑えられなかった。
それに背中から尻にかけての緩やかな膨らみを帯びた線も、正直気に入った。
俺はそれからナツミを時折観察し、しばらく無視して過ごした。
顔を見ればビンタしたくなる。嫌いだからじゃなくて、むしろその反対。
『あっあっおはようございます、加賀美さん!』
『……』
本当にスルーした。あいつが俺を追えば追うほど、無視されて落ち込むほど俺は嬉しくなった。
『……加賀美さんと、僕はお話したいです……』
自販機の前でたまたまふたり居合わせたとき、しょんぼりしながらそう言われて俺は拳を握ったもんだった。
『うるせえ奴や、手短にな』
そう冷たく言った俺の声はどう聞こえたのか。
ナツミは冴えなくてノロくて、でも一生懸命なやつだった。
そんなアイツを俺は表向きなぶりいじめ、裏ではバレない様にそっと仕事のフォローをしておいた。クビになられると俺が困るからだ。
時折気まぐれにナツミに仕事のことで声を掛けた。
『えっ!?この資料加賀美さんが作って下さったんですか!?ありがとうございます!!』
『お前が大層なノロマやからや。俺を煩わせるな』
『……はい、すみません……』
えへ……としゅんとしたナツミ。
そんなナツミを見ればみるほど俺は心の一番奥を掴まれた。それはナツミだけしかくれない快感だった。
ナツミは俺だけのいじらしいペットのはずだった。
ところがある日。そんなナツミを気に入ったという同僚の男の噂を耳にしたんで、俺は即横取りすると決めた。
会社の飲み会の時、一度だけわざとらしくナツミの隣に座った。ナツミは分かりやすくビクッと肩を揺らしそしてビールを相当俺の膝にこぼした。狙い通りだった。
『チッ……お前は何でそんな不器用なん?』
『すっすみません……!』
『あーえらい染みになっとるわ。……一回こっち来て』
殺されると思ってるのだろうナツミのぶるぶる震える様子が未だ記憶に焼きついている。
2人っきりの廊下に連れ出して、話をした。
『こんなぐちゃぐちゃなズボンなんか履いてられへん。適当でええからなんか下のやつ買い直さないかんわ。ついてきや。今から』
『えっ今から!?』
『文句あるんか俺の高いスーツ駄目にしたんお前やぞ』
ガァン!壁に手をついて凄んで見せたらナツミは怯えて縮こまってハイと素直に言った。
俺はナツミをそっと連れ出した。
初めて2人連れ歩いたあの日あの瞬間が、俺には嬉しかった。
『……さむない?』
『あっえっと大丈夫です……!』
何でもないやりとりが大事な思い出になった。
その後、当然スーツ屋なんか行かず(そもそも22時に開いてへんわボケナス)俺の家に連れ込んだ。
『えっえっ?』
何も状況がわかっていないナツミに、俺はまあ座れよと促した。
『まあスーツは許したるわ。今日ここでしっかり飲んで俺を楽しませたらな』
ぎらと睨んだら、ナツミはただ頷いた。
『……だからあ、僕はあ、エースの加賀美さんにすごい憧れがあってええ……』
見るからに酒に弱そうなナツミを、狙い通りへべれけにした。
『で、結局俺のことどない思っとるん?』
『加賀美さんは僕が嫌いでもお、僕は……。
ぼく……は……』
『一番良いところで寝てんじゃねえよ』
俺は遠慮なく強めにビンタした。柔らかい頬の感触。初めて触れてドキドキした。
『……うう、いたあい……あの、お慕いしてます……』
『好きって意味か』
『あ、えっと……』
『はよ答えろや!』
『!!!うう……好きです……う……』
ナツミはそのまま寝潰れた。
俺は言質を取った。本当に好かれているかは不明だが、でも時折ナツミの方から隠れる様な熱心な視線を感じることがあったから、憧れられているのは本当だろうとも思っていた。
だからこれは合意だ。
俺は翌朝、眠気まなこのナツミに手を出した。
ウブなナツミは終始しどろもどろで、ずっと顔を真っ赤にしていた。『嫌やったら俺をはっ倒して逃げろや。別に流石に無理強いせえへんしな』一応そう言ってやったけど、ナツミは俺を押し返したりしなかった。むしろぎゅ、と精一杯しがみついてこられて俺は大層気を良くした。
事後。
『俺ら付き合おうや。でも皆には内緒にしとこうや、な?』
それだけ言った。ナツミはまたも、顔を真っ赤にして頷いた。
ナツミに対して、真っ直ぐお前が好きだとは言えなかった。他の奴には決して取られたくないが、おおっぴらに付き合っていると言うのは照れた。付き合ってるのが恥ずかしいという意味ではない。
本当に大事なものは隠しておきたい。子供じみたそんな思いだけだった。
そんなナツミが失踪したのは俺が飲み会で余計なひとことを言ったからで……。
なんて、俺は過去の出来事に埋没しすぎていた。
俺は気づいていなかった。
後ろから忍び寄ってきていた人物に。
「さっきのお返しだ」
「!」
しまったと振り返る。
ひゅ、と何か重いものが振り下ろされる瞬間を、俺は見た。
続く
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