「そんな、嘘だ!た、たくみはそんなヤツじゃない!!」
「お前に何が分かるのだね。家内の裏切り一つ気づけなかったお前に」
…!!
過去の古傷ど真ん中にそれは響いた。直球ストレートはあまりに強力で言葉が出てこない。
俺はたくみを全部理解していないってのか?
「人の気持ちは変わるのだよ。小春くんには現金の他に小切手もやるといった。お前ひとりでは決して用意できないような大金をだ。
お前もいくらか金は持っているかもしれないが、加賀美家の財産とは比べものにならんものだ。
大金を前にすれば人間は変わる」
「そんな、嘘だ!」
大金の入ったバッグを持って去って行くたくみの後ろ姿がふいに浮かんだ。想像の中の彼は仄暗く笑っている。あり得ないとすぐさま打ち消した。
「お前と別れたら一生遊んで暮らせる金が手に入る。…それだけの相手だったということだ、お互いにな」
「良い加減なこと言わないで下さいよ!」
その父さんのセリフは俺の心ん中の最も痛いところを突いた。怒りと悲しみがスパークする。辞めてくれ!!
『それだけの相手』ってのはかつて俺が俺自身にかけた呪いの言葉だったのだ。
むかし紫乃に浮気された時。俺は自分がそれだけの相手だったのだと悟って深く傷ついたから!
今度はたくみにとっても、俺がそうだと?
自分そっくりの顔をしているが、俺の気持ちなど何も理解せず、その癖1番痛いところをどういう訳か的確に突いてくる聡明な父親が俺はずっと昔から苦手だった。
「暁都」
「もう何も言わないで下さい!!」
そう言って下を向いて両手で顔を覆った。
過去の古傷がぱっくりと空いて血飛沫をあげていた。感情が暴れ出しそうでどうしようもない!だけどこんな父親の前で感情を露わになんて絶対にしたくない。
俺は背を向けた。
紫乃にプロポーズしたこと。子供ができて喜んで、その後自分の子じゃないと分かった時のこと。その後泥沼離婚したこと。頭の中で嵐の様に駆け巡った。
紫乃とたくみは全然関係ないはずなのに、なぜか妄想の中でたくみの姿が重なっていた。しっかりしろよ、暁都!揺さぶられるな!
「早く暁都も一筆書きなさい」
「それは出来ません!」
「揺るがない信頼関係だと思っていたのはお前だけだがな」
!
「既に帰ってしまった相手を待つのかね。虚しく、無意味に。随分滑稽な男だ」
俺そっくりの嫌味に言葉運び。俺が小説家になんかなれたのは父親の遺伝あってのことだと思い知らされる。
「…それでも僕は書きません」
震える指先。
「ではいつまでもそこにいろ」
はあと心底面倒そうなため息を吐き、父親は立ち去っていった。
助かった…。
たっくんのことは信じている。あんなのデタラメだと。
…でももしも万が一、父親の言う通りだったのだとしたら。
俺はもう生涯立ち直れそうもない。
***
薄寒い地下の部屋。そこは小洒落た年代ものの装飾の施された小さな部屋だった。
鉄格子で外から施錠されているので、内側から出ることは出来なかった。座敷牢…というにはお洒落すぎるが、あながち間違いでもないような気がする。古いお家だしね…。
目の前のテーブルには1通の誓約書と万年筆が置かれている。サインなんか出来っこない内容の。
はあ、しかし本当にどうしたもんかと悶々としていた僕の耳に、遠くから足音が聞こえてきて、やがて扉の鍵が開いた。
「小春くん。…良い加減、誓約書は書く気になったかね」
「!」
現れたのは暁都さんのお父さま。
「書きません!僕はお金なんか欲しくありません。お願いですからこんなところから出してくださいよ!」
「駄目だ。暁都のことは忘れたまえ。どうせありきたりな男だ」
「なんて事言うんです!?実の息子さんでしょ!?」
「なあに、代わりは他にいるさ」
暁都さんそっくりのお父さまはそう表情を少し歪めて頭を振った。そんなちょっとした仕草もふたりはよく似ていた。
それにしても本気で言ってる…?あんな人滅多にいないどころか、地球でたった1人の素敵なひとなのに。
いや、でもこれは別れさせたいからこその台詞だ!そう僕は信じた。
「まあ暁都は誓約書には前向きだがね」
「えっ…!?そ、そんな…!」
暁都さんの横顔が浮かんだ。行きの新幹線で見せていた憂いのある顔…。
そんな…嘘だよね!?
「君には気の毒な話だがね…暁都は本当は迷っていたのだよ。どうやって君に別れを切り出すか。
以前離婚して、それからずっと独り身で久しぶりに恋人を作ってみたものの、やはり合わないと。
ポーズ上必死に親を説得している風に見せていたが、本当は力ずくで別れさせて欲しい…暁都はそう思っていたのだよ。でなければ反対されるのが目に見ている父親のいる家に、同性の恋人を連れてわざわざ出向かんだろう」
うっ…!!言われてみればそんな気もするけど…!
「で、でも、暁都さんは僕とのことを本当にちゃんと認めて欲しいから、ってことでこのお家に来たはずです…!」
手のひらをギュッと握る。自分で言ってて汗が滲む。逃げたり誤魔化したりせずに、もう正面から実家とぶつかろうとして暁都さんはここに来たはずだ!僕は暁都さんをそばで支えたくて着いてきた。
僕は暁都さんを信じている…!!!
同情するような表情をつくってお父さまは言った。
「暁都はああ見えてなかなか癖のある男でね。相手が喜びそうなことをつい言ってしまうところがある。小説なんぞ書きよるんで口も達者だ。そのくせ下手にロマンチスト。君を傷つけてしまうのを恐れて言えなかったのだろう。
…ま、暁都のいっ時の気の迷いだったのだよ」
…!!!
妙に腑に落ちる部分があった。さすが肉親…暁都さんのことをよく理解していらっしゃる…。
でもそんな…そんな…!!
動揺で視線が右に左に。明らかに狼狽えているであろう僕にお父さまは畳み掛けてきた。
「かけがえのないパートナーなどこの世にいないのだよ。いると思っているならそれは幻想だ」
「そ、そんなことありません!」
僕らは傷つき合って最後に見つけた最良のパートナーだったはずだ。
違ったの…?
「では何故そう言い切れる?君には暁都の心の内が正確に読み取れるのかね?」
「う…っ!」
「君は社交辞令というものが分からんのかね」
僕は本当は暁都さんにずっと疎ましがられていたのだろうか…?
「でも…でも僕は…暁都さんを信じて待ちます!誓約書はやっぱり書きません!」
「ではこの檻の中でずっと暮らすが良い」
一筆書くまで返してくれる気はないらしいお父さま。無情な鍵音が聞こえたあと足音が遠ざかっていき、やがてまた何も聞こえなくなった。
暁都さん、僕信じてるよ。信じて良いよね…?
続く
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