「・・・!」
急にめまいみたいなものがした。クラクラして視界が揺れる、うまく歩けそうもない。汗がじわ、と浮かんだ。
「飛鳥?ホントに大丈夫か。まあとりあえずウチで休めよ。さ、こっち」
慶太が背中を支えてくれたのに甘んじた。促されるままについていく。
盗み見るように見上げた慶太の横顔は、やっぱり昔大好きだったまま。
どくんどくんとヒートのうねりが強く増す気がする。いや、気のせいじゃない。
今回のヒートは、どこかいつもと違う。
ここだよと慶太が僕を案内したのは、錆びついた感じの小さなアパート。
ガチャ、と幾分安そうなドアを開けた先は、ワンルームの部屋だった。質素で、飾り気がなくて、段ボールが所々に積まれているだけの。あの御曹司の咲也とふたりで住むはずがない、そんな感じの部屋だった。
咲也の顔がふいに思い浮かんだ。咲也は慶太をひどいやつだという。慶太がしたことを考えれば確かにそうだ。そうなんだけど・・・。
「飛鳥、具合悪いんだろ。とりあえずそこ座ってな。水持ってくから」
ぼうっとしていたみたいだ。
あ、うんと返事した。現実に引き戻されて、クッションの上に座った。
台所の寒々しい蛍光灯の下、何かやっている慶太をなんとなしに眺めた。男らしい横顔。
僕は咲也からあんな話を聞いても、慶太をすぐに見損なえかった。小さい時から僕にとっては慶太が憧れだったから。きっと人は僕を馬鹿だと笑うだろうけれど。
「飛鳥。水。氷入れといたから」
ありがと、と言って水を飲んだ。水はレモンの香りがした。さっぱりして火照った身体にはちょうど良かった。
でもレモン水?作り置きしてたのかなあ。このやんちゃな慶太が、と思ったところでこれはきっと咲也の影響だと気づいてしまった。
僕のとなりに腰を下ろした慶太。ふと見た慶太の左手薬指からは確かに指輪がなくなっている。そこだけ白い日焼け跡を残して。
「咲也のこと、まだ好き?」
どうしようもなく心がぐしゃぐしゃで、唐突にそんなことをつい聞いてしまった。
「まあね」
「・・・!」
うっすら分かっていたはずのことを改めて言われていちいち傷ついて、僕は本当に馬鹿だ。
「ま、でももう戻れない。俺たちは終わったんだ。・・・さみしーけどね」
あっけらかんとした風に言い放つ慶太。気にしてないよって虚勢張ってるの?気にしたら破局を本当に認めることになるから?
俺、すげえ辛いんだって言えば良いのに。ばか、慶太。
僕は自分の膝をぎゅっと抱いた。
「・・・この間咲也から色々聞いたよ。慶太の悪さした内容。ひどいことするね」
ああ、とあははと乾いた笑いで慶太は笑った。
「しょうがねえじゃん。御曹司で美少年の咲也さま。平民の俺なんて普通は相手しないんだよ。ズルでもしなきゃね」
「でもバレたくせに」
僕は苛々として言ってしまった。ふふと鼻で笑った慶太。
「だからあ、反省してますよって・・・。
まあ俺はそれでも何とかずっと番でいたかったけどねえ。
でも咲也が泣くから。アイツね、あんなルックスだけど結構気い強えんだよね。俺と番として一緒にいた期間、俺の前で泣いたことなんか一度もなかった。
でもさ、色々バレてからアイツはぼろぼろ泣いちまったからなあ。飛鳥がどうのこうの、本当は他に好きな人がいただの・・・そう言われちゃ流石にね」
ドキッとした。
慶太は僕の瞳を覗き込んで言った。
「ってか俺のこと好きだったってホント。話の流れで咲也から聞いた」
切長な瞳。ドキンと心臓が跳ねて、またヒートの熱がうねった。どくんどくんと止まらない。会話してて一旦ヒートの熱から気が逸れていたのに。
「なあ、飛鳥あ」
どうしよう。
「海里と子供作らなかったのはもしかしてそのせい?」
なんて言えば良いんだろう。変なところで勘の良い慶太。好きだった人にそんなこと言い当てられたくなかった。
「そんなんじゃないよ・・・」
せめてそれだけ言った。僕は瞳を伏せた。慶太の切長な瞳は、海里のそれとよく似ていた。
「ふうん。じゃあさ、いま海里と何で喧嘩してんの。珍しいじゃん」
そっと指の背で僕の頬を撫でた。それだけでびり、と震えるくらいのヒートのうねりがすぐそこまで来ていた。
「・・・海里のこと、信じられなくなったから。海里だって、僕に嘘ついたり騙したりしてたんだ!」
色んな感情が込み上げた。海里、どうして!
あははと慶太は笑った。
「まあ、俺たち兄弟はよく似てるから。性根がズルいとこなんかそっくり。まあでも、俺の方がひん曲がってるか」
言うなり僕をいきなり押し倒した。
「俺ねえ、さみーしんだよって言ったろ。今ひとりなんだよ。もう咲也とは後戻り出来ねえの。
そしたらさ、弟の番を横取りしてみるってのも面白いかもな?飛鳥だってヒートが丁度来たろ。さっきから随分良い匂いだ。抑制剤は?何で飲んでないの?忘れただけ?それともわざと?
・・飛鳥は俺が好きだった。んで飛鳥は今日、俺のアパートに着いてきた。俺もね、飛鳥のこと別に嫌いじゃないよ。なら良いじゃん」
嘘か本当か、分からない笑顔で慶太は僕に触れた。
続く

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