「ちなみにこれが例の抑制剤。あげるよ。僕もオメガなんでね、大量に持ってるって訳」
そう差し出された袋の中には、大量の抑制剤。
20本分を一気に服用すれば良いらしかった。
「抑制剤は味も匂いもしない。それに一回分はごく僅か。20本分の袋開けたって大した量じゃない。・・コーヒーにでも混ぜれば良い」
そう言われて、僕は受け取るだけ受け取った。
受け取ってしまったんだ。
『抑制するのは』
僕は悶々としながら時を過ごした。
抑制剤のことは忘れようとしたけど、やっぱり忘れられなかった。
梓が・・戻ってくる・・?
『ひかりー!』と僕にべったりだった梓が。また戻って来る・・
諦めかけていたあの日々が・・
いや、いやいや!でも先生にこっそり抑制剤なんか飲ませちゃダメだ!!ずっとヒートが来なくて悩んでいた先生にそんなことしちゃ・・!
・・でもフェロモンを止めなきゃ、梓と先生が本物の番になるのはきっと時間の問題で・・!
一度アルファとオメガは正式な番になったら、どちらかが死別するまで解消はしない。そしたら僕のチャンスが巡って来るのは数十年後ってことで・・
前に梓に言われた言葉が頭の中を駆け巡った。
『・・もっと早くそのひかりの本音を教えて欲しかった。前の俺がその言葉を聞いたら、どんなに嬉しかっただろう。
でも遅いんだ。・・もう』
『もう遅い』、が『まだ間に合う』に変わるならば・・掛けたい気持ちもあって・・
2人の仲を引き裂くなら今なんだ。
でもそもそも運命の2人なんだからくっつくのが当たり前で、それを引き裂くっていうのは僕がおかしい訳で・・
じゃあ2人が運命の番になるのを傍観出来るかって言ったらやっぱり出来なくて・・!決断するなら早くしなきゃで・・!
ああ、どうすれば!?
僕の心はあっちに揺れこっちに揺れ、ずっとグラグラしていた。
そんな風にベッドで悶々としては寝返りを打っている僕を見かねたのか。
ある日の夜、高崎くんは部屋で言った。
「星屑くん・・迷ってるみたいだね。
じゃあさ、こういうのはどう?僕が置いておいた大量の抑制剤の入った紙コップをね?ガムシロップと間違えたってことにして、先生のアイスコーヒーに入れる。
君は何も知らなかった。ただ間違えただけ。
事故じゃあ仕方ないよね?」
怜悧な瞳が僕を見つめる。
事故じゃ仕方ない・・その言葉は、迷いに揺れる僕の心を驚く程すっと撃ち落とした。
そ、そっか・・僕はただ間違えるだけ・・
翌日。僕は久しぶりに音楽の授業に顔を出した。歌えないし、授業聞いてるだけだけど。抑制剤は持ってきた。
先生は久しぶりに現れた僕を優しく歓迎してくれた。胸がギュッと苦しくなる。
そりゃ梓を巡ってはライバルではあるけれど、それは別に先生が悪い訳じゃなくて運命の悪戯ってやつで・・それに先生はずっと僕に優しくしてくれてた訳で・・
なのに僕はこれから酷いことをしようとしていて・・
ギュッと拳を握って自分を戒めた。
いや、迷うな僕。酷いことをする側が、迷っちゃいけないんだ。
放課後、ものすごくドキドキしながら先生を誘い出した。『中庭でお話したいです』と筆談で。先生はもちろんと言ってくれた。
先生が少しだけホッとしたような顔をしたことに、良心が痛んだ。僕の身を案じてくれてたのかな。でも僕みたいなクズを、気にかけないで欲しかった。
『飲み物買ってから行くので待っててください』と書き伝え、僕は校内のカフェテラスへと走った。
震える指先でアイスコーヒーとお茶を買う。
・・紙コップに入ったアイスコーヒー。カフェの物陰で抑制剤を大量に混ぜていく。
『これは偶然、紙コップに入っておいてあったものをガムシロと間違えていれている』そう自分に何度も言い聞かせた。
1本、2本、3本・・
本当のガムシロの如く溶けていったそれは、全く見た目上の違和感はなかった。試しにほんの少しだけスプーンで掬って舐めてみた。味の違和感はない。これなら・・いける。
悪い確信を胸に、中庭へと再度走る。
先生と合流した。
「あ、僕の分まで?ありがとう」
そう言われて500円ポッケに入れられてしまった。心がズキズキと痛んだ。お金なんて受け取って良い代物じゃないものを、渡そうとしているのに。
いやそんな甘いもんじゃない。先生の大事なものを奪うものを、渡そうとしているっていうのに・・。
ドクンドクンと心臓が鳴る。いや、これは耳鳴りの音か?先生が何か話してくれているけれど、何も頭に入ってこない。
何が何だか分からない感覚の中で、僕は黙ってコーヒーを差し出した。
「ありがと」
ニコと笑って受け取ろうとする先生。その薄紅色の美しい唇。飲ませさえすれば全部終わる!
でもその時、閃光の様に色んなシーンの雨宮先生が頭の中を駆け巡った。
・・虐げられる学校内で、先生の中では唯一優しくしてくれた雨宮先生。
音楽コースで居場所のない僕を、いつもフォローしてくれてた先生。
僕の唯一の取り柄だけどそこまで大したことはない歌をいつも褒めて自信をくれた先生。
『灰原くんを僕にくれ』って打ち明けた、初めて人生でヒートが来た雨宮先生!
僕はすんでのところで指を離した。バッシャアと床に散ったコーヒー。先生と僕のズボンの裾を随分と濡らした。それがつめたくて、冷たくてハッと我にかえった。
「えっ何!?大丈夫!?わー、浴びちゃったね、平気!?」
身を案じてくれる先生。慌ててハンカチで拭ってくれる先生。それを黙ってじっと見下ろしていた。
僕は何てことを・・!
ウッと涙が溢れた。
声にならない嗚咽をあげた僕を、先生は優しく抱きしめた。
その後『ごめんなさい』と書いて見せた紙に、良いよ気にしなくてと言った先生。
その言葉に、僕は余計泣いた。
ごめん高崎くん。せっかくもらった抑制剤なんだけど。僕はそれを使いこなせる人間ではなかったみたいだ。
続く
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