「もしもし・・?」
『俺だよ、久しぶり』
久しぶりの、彼の声だった。
涙がじんわり浮かんだ。本当はずっと聞きたかった。大嫌いなはずなのに、本当は会いたかった。
『今どこにいんの?家帰ったら荷物なくなってるからすげえびっくりしたよ。連絡もつかないし』
捲し立てるような声。あは、懐かしいな。彼は怒るといつも少し早口だった。
「・・ごめん」
何て言えば良いのか言葉が浮かばなくて、とりあえず謝ってしまう。僕の悪い癖・・。
視線を逃した先で、隣のホームに電車が入ってきた。仲の良さそうカップルがいる。僕らがあんな時もあった。
『それで・・無事でいんのか?』
彼はずるい。僕をこうやって時々心配するこの声音。これが本当あったかいんだ。
ほだされそうになる。全部彼のせいなのに。だから言った。
「も、電話切るね」
彼は叫んだ。
『俺が愛してるのはお前だけだから!LINE、見ろよな!』
「!」
珍しく切羽詰まった声。 即電話を切った。着信拒否も。
それから駅のホームでしゃがみこんだ。
滑り込んできた最後のセリフに心臓がギュッと掴まれていた。今の僕、すごくみっともない顔をしてる。
『分岐点』
アテもなくふらふらと海沿いの道を歩く。こうして悩んで歩く時、海の近くっていうのは良い。海沿いの街に引っ越してきて良かった。
平日の午前10時。 こんな時間は外にあまり人がいない。皆会社や学校に行ってて、どこにも属していない僕だけが、孤独に街中で浮いていた。
ー俺が愛してるのはお前だけ!
さっきの台詞が頭の中で何度も響いていた。
じゃあなんで浮気するんだよ!って腹わた煮え繰り返ってる自分と、 密かに嬉しがってる自分がいた。
僕の心の中の一部が飛んで彼の元に帰ろうとしていた。さみしいさみしい!って。
くそ、ふざけるなよ!
自分で自分をコントロール出来ないことが悲しい。
ああ、自分の感情なんかなくなってしまえば良いのに。
上司も帰っちゃったし。僕に構いたがりの上司が今いれば、気が紛れたのにな。タイミング悪、本当・・。
1人で外でご飯食べて、宿に戻って。パソコンを開いて、僕は仕事を始めた。
デザインの仕事をめちゃくちゃやることにした。趣味で副業してて本当良かった。生活費、稼がなきゃね。
仕事漬けにしてしまえば、きっと彼のことも忘れられる、そう思った。
カチャカチャとキーを打つ音が響く。
ハッと気づけばあたりは薄暗くなっていた。もう夕方か。
今日は大分進んだし、もう良いかな。
コーヒーでも飲むかと立ち上がる。 お湯を沸かしている間、ふと浮かんだのは・・
ーLINE、見ろよな!
あんなこと言ってたな。
・・僕にどんなメッセージ、送ってるんだろう・・?
いや、もう言い訳なんか見たくないし。言いくるめられるのがオチだ、きっと。
そう分かってるはずなのに、どうしてもLINEが気になってしまった。
珍しく切羽詰まっていた彼。あの電話の声を聞かなければ、LINEを見ようかなんて思いもしなかっただろうけど。
・・見るだけなら、良いかな?
部屋掃除したり温泉入りながら、 迷いに迷いにまよって。
その日の夜、僕はおそるおそる、彼のLINEのブロックを解除した。
解除した途端、すぐにメッセージが来た。
『会いたい』
やばい、既読にしちゃった。
慌ててアプリを閉じた。
でも通知がどんどん携帯にくる。
『ブロック解除してくれたんだ?ありがと』
『この間の子、本当に何でもないんだ』
『付き合ってくれって言われてずっと断ってたんだけど。付き合ってくれないなら死んでやる!って脅されてさ。 恋人いるからって断ってたんだけどしつこくてさ。
一晩裸であっためてくれたらそれで諦めるからって言うから仕方なく泊めただけ。誓って何もしてない。俺を信じてよ』
『大好きだよ』
次々に来るメッセージに、釘付けになってしまった。心臓がソワソワしてしょうがなかった。
脅し、なんだ。そうだったの?ならやり直してもいいんじゃない?という僕と。
いや嘘に決まってるだろ。裸であっためるだけで終わりとかないでしょ。という僕と。
信じたい僕と、自分を守りたい僕がせめぎ合っていた。
『お前がいなくなって、お前の大事さが本当によく分かったよ』
『俺にはお前しかいない』
心臓がドキンと跳ねた。
ずっと欲しかった言葉がずらずらと並んでいたんだ。
『今どこにいるの?会いに行くから』
そのメッセージを見て、僕は携帯を放り投げた。こんなんじゃダメだ。ダメなんだ。会っちゃいけない人なんだから彼は。
もういっそ寝てしまおうと頭から布団をかぶった。でもどうにも胸がざわざわして寝付けなかった。それに時間も早かったし。
1人の部屋ではポツンとさみしくて。
誰でも良いから、人のいる場所に行きたい。そう思って僕は出かけることにした。夜22時。
訪れたのは近くにあった小さなバー。
店内にはちらほら人がいる。混んでないしガラガラでもない、程よい感じ。 良いな、こんなところにこんなお店あったんだ。
カウンターには既に男性が1人いて、その隣のとなりくらいに通された。 適当に頼んでちびちび飲み出す。
なんとなく取り出して見てしまったスマホには、彼からまたアレコレメッセージの通知が来ていた。
『諦めないから』だの『ずっと待ってるから』だの・・
どうしようさっきからずっと未読スルーしちゃってるけど。ああ、やっぱブロックしたままきしとけば良かったかな。
とは言えやっぱりブロックし切れない己の弱さよ・・。こういうところが、ダメンズを引き寄せてるんだろうな。
ふうとため息を吐いた時。
「ね、君ひとり?」
ふいに声をかけられた。顔を上げると、カウンターに座ってた男性と目が合った。
渋くてハンサムな人だった。ウェーブがかった髪がちょっと長い。僕より歳上・・かな?ちょっと神経質そうだけど、こう言う人をイケおじというのだろうか。
「え、あ、はい。ひとりです」
「さっきから何悩んでんの。携帯ずっと睨んでるじゃん」
「あ、えと、迷惑メッセージが最近多くて・・?」
何だそれ全部ブロックしちまえよとその人は笑った。笑い皺のくしゃっと出るその感じは、僕が好きな雰囲気ではあった。
「この辺に引っ越してきたの?初めて見るけど」
僕のグラスにワインを注いでくれた。ごつ目の手には血管の筋が浮いている。こいうの好きな人にはたまらないだろうな、なんて思った。まあ僕は違うけどさ。
「え、まあ。そうですね」
「今どこ住んでんの」
「あっちの旅館、の方ですね」
「え、そうなの?あっちの方面、家賃高いじゃん君良いとこ住んでるね」
少し驚いた様に言われてしまった。すみません僕は家賃出してませんが。
「引っ越してきたのは彼女のため?」
うっその手の話題はやめて欲しい。
「あ、恋人にはちょっと前に、その、振られちゃって。傷心してここに引っ越しを、みたいな」
もごもごと答えた。頼むもうこの話題は終わってくれ・・!
「何だ君もか〜俺も今ひとりなんだよ寂しいモン同士だね」
そう彼はニッと笑った。
でも笑みを浮かべたその怜悧な瞳が、僕をじっと見つめている気がする。
「あ、そういえばあなたもこの辺りに住んでるんですか?」
もう何も僕のこと突っ込まれたくないから相手に水を向けた。
「ん、俺?そうだよ。この本当すぐ近く。もうちょっと行ったところ海あるでしょ、あの辺のマンション。俺ね、小説家やってるんだよ」
海の近くに住む小説家。それ自体が題材になりそうだ。やっぱ小説家って趣あるところに住んでるんだな。
それからは『え〜すごいですね!』ととりあえずアレコレ相手の仕事の話を聞いてみた。
自分とは違う世界の話を聞くのって面白いし。 話上手な相手につられて、長らく話し込んでしまった。久しぶりに沢山笑って、気づけば2時間あっという間だった。
バーからの帰り道、海沿いを一緒に歩く。
あまり街灯のないこの街では、星が良く見えた。その分、並んで歩く相手の顔は良く見えないけれど。
暗闇の中で相手は言った。
「・・ところで君さ、男いるだろ。イヤ、いた、かな?」
ぎくりとして振り返った。暗闇の中、見据える様な瞳と目が合った。
「付き合ってる女のことを恋人って表現し直す奴あんまいないからね。そう言う奴には大抵男がいる。
・・でも迷惑メッセージって言ってたしね。前の男からもっかい付き合おうって言われてる。違う?」
全て言い当てられてどきりとした。つい頷いた。
「一度別れたやつとヨリ戻したって、何も生まれないよ」
「・・それは分かってます僕も・・」
忘れていた苦しみがギュウっと胸を刺した。せっかく楽しかったのに・・。
「だからさ、俺を試してみない?」
「!」
さっと手を繋がれた。その長い指で僕の手のひらをカリッと少し掻き、そして手を離した。
あまりにも一瞬。でも手短な愛撫みたいだった。
「それじゃまたね」
びっくりしてドキドキして何も言えない僕を置き去りにして、相手は去って行った。
いきなり不躾なまでに僕に急接近してきたあの人。
でも、イヤじゃない自分がいた。
もしかしたら、僕は元彼を忘れられるかもしれない、なんて思っていた。
時間を確認したくて見た携帯には、また元彼から山ほどのメッセージ。
それをそのまま鞄にしまって、僕は暗闇のなか旅館の灯りに向かって歩き出した。
続く
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